対句の美学 中島敦『山月記』

 人間が虎になるのは怖ろしいことだ。中島敦の『山月記』からはある日突然虎になった人間の取り返しのつかない恐怖がまざまざと伝わってくる。これは人間の条件のあやうさに戦慄したものだけが書き得る作品だ。中島が生きた懼れの深さを測るために『山月記』に先行する初期の作品『過去帳』二編「かめれおん日記」「狼疾記」を手掛かりに中島の世界に垂鉛を下ろしてみよう。例えば「かめれおん日記」に自分の幼児体験の次のような回顧がある。

幼い頃、私は、世界は自分を除く外みんな狐が化けているのではないかと疑ったことがある。父も母も含めて、世界凡てが自分を欺すために出来ているのではないかと。そして何時かは何かの途端に此の魔術の解かれる瞬間が来るのではないかと。

自分一人だけが世界の外に投げ出されているという自分の宿命の相貎についての最初の認識がくる。世界と自分の裂け目の意識を狐という伝奇的記号で表わす。人間に化けた狐という表象は中島の世界認識の原型を示している。それにしても、自分を取り巻く世界が仮象ではないかと疑っている幼児の疎外感はどこから来たのか。幼くして母と離別し、義母に育てられた中島は深い不安にさらされて育った。母という根源から見離された幼児はこの世界の中を拠りどころなくさまようほかない。そういう孤独と不安のまなざしの中で、世界は確固たる輪郭を失い、狐狸妖怪の巣窟と化す。父も母も妖怪ではないかと疑う幼児の孤独には救いがない。

 中島にはこういう伝奇的傾斜とは別の、形而上学的傾向とでも言うべきものがあった。「狼疾記」によると、小学四年のとき、担任の教師から地球がしだいに冷却して、人類が滅亡するに至る話を聞く。そして我々の生存がいかに無意味であるかを執拗に繰り返し聞かされる。彼はその話に根底から震駭され、不眠症に陥る。彼はせっぱ詰まって大人たちに救いを求める。しかし大人たちは笑って教師の話を肯定するばかりだった。

之は自分一人の生死の問題ではなかった。人間や宇宙に対する信頼の問題だった。だから、何万年後のことだからとて、笑ってはいられなかったのだ。<中略>何より大事なことは、俺の性情にとって、幾ら他人に嗤われようと、斯うした一種の形而上学的といっていい様な不安が他のあらゆる問題に先行するという事実だ。

形而上学的とは物事をその根源まで遡って思考する態度を言う。中島のこの世界における自己の根拠の欠如が彼を形而上学へ追いやるのだ。中島の自己への形而上学的こだわりは「狼疾記」において既に<臆病な自尊心>という彼の文学の主要なテ−マを探り当てていた。「狼疾記」で私小説的に追求したテ−マを今度は伝奇小説の中で追求して見せるのである。中島にとって伝奇小説は単なる文学の手法ではなく、自分を取り巻く世界を読み解くはるかに本質的な記号であった。『過去帳』以来の形而上学的テ−マを作品化しようとして、唐代伝奇小説『人虎伝』を素材として選んだとき、彼の文学は初めてぬきさしならぬ本来の場所に逢着していたのである。『山月記』は次のように書き始められる。

隴西の李徴は博学才頴、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賎吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山虢略に帰臥し、人と交わりを断って、ひたすら詩作にふけった。下吏となって長くひざを俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。

<狷介>とは自分にこだわって人と協調できない性癖をいう。それは自分へのつまずきに起因する人間関係への不調の意識で、中島文学の原点である。彼は自分を狷介という自我の病を病んでいると自覚し、それを「狼疾」と呼んだり、「自尊心」と名づけたりしてこだわり続けた。そして、ついに狷介ゆえに虎となる男の物語を書くのである。この冒頭部分の<虎榜>と<虢略>に既に虎という記号が織り込まれていることに留意しておこう。主人公李徴は<賎吏に甘んずる>ことができなくて<詩作にふける>男である。ここには官吏と詩人を対立項とする聖俗二元論が現われている。さらにそれは<俗悪な大官>と<詩家としての名>の対立項へと引き継がれる。中島のこういう二項対立の発想は対句にその根拠を置いている。この作品には<博学才頴>と<性狷介>のように、あらゆる所に対句的対応が隠されている。この作品の表現意識は対句を基盤としていて、やがて対句が作品のテ−マを開示するであろう。とにかくこの冒頭の導入部分において、李徴が発狂し行方不明になるまでの経過を描く。

 次に李徴のかつての同輩袁傪が人虎と化した李徴と遭遇するところへと物語は展開する。袁傪が人虎の出現する超自然的世界への案内者である。

後で考えれば不思議だったが、その時、袁傪は、この超自然の怪異を、実に素直に受け入れて、少しも怪しもうとしなかった。

これは勿論伝奇小説の常套的語り口である。こういう伝奇小説の定石に従って、虎が人語を語る不思議の世界へ<少しも怪しもうとしな>いで落とし込まれていくのもまた伝奇小説の快楽の一つである。

 かくて袁傪に対する李徴の告白が始まる。<戸外で誰かが我が名を呼んでいる>その不思議な運命の声に促されて彼は闇のなかへ駆け出す。無我夢中で走りに走って気がつくと虎になっていたという。この奇怪な運命に遭遇して李徴は茫然とする。

全く、どんなことでも起こり得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、なぜこんなことになったのだろう。分からぬ。全く何事も我々には分からぬ。理由も分からずに押しつけられたものをおとなしく受け取って、理由も分からずに生きていくのが、我々生き物のさだめだ。

これが幼児から中島の存在の基底でなり続けていた懼れである。いわば中島文学の基調低音である。それはまた「世界の悪意といった様なものへの、へりくだった懼れ」(『牛人』)といわれたりもする。この巨大な運命の掌の上で弄ばれる卑小なものの懼れを伝奇小説の枠組によって捉えるのである。しかし作者は伝奇小説を書こうとしているわけではない。これは徹頭徹尾<なぜこんなことになった>かを追求した物語である。伝奇小説とは不可知な運命を生きる物語であるのに、中島は運命を分析してしまう。それが形而上学的ということの意味だ。

 告白は次に詩人の運命に移る。<自分は元来詩人として名を成すつもりでいた>と李徴は言う。冒頭段落において<名を虎榜に連ね><詩家としての名><文名>と頻出する<名>が李徴の破滅を予告していたが、ここでは名声への執着ゆえに破滅した李徴の中で、なお執着だけが燃えさかる。実体の消失の後に、なお虚名だけが生き続けるという倒錯が現われる。名声の虚妄を知りつつ、なおそれを断念できないとき、人は自嘲以外の何ができよう。

笑ってくれ。詩人になりそこなって虎になった哀れな男を。

名声への執着は無論自尊心の現われである。しかし自嘲もまたすぐれて自尊心の症候にほかならなかった。他から嘲笑される前に、自ら嘲笑して他からの批判を封ずる自嘲の自己防御こそ自尊心の機構以外のなにものでもない。作品はこの自嘲を糸口として、自尊心ゆえに詩人になれなかった男の運命の追跡へと向かう。

なぜこんな運命になったか分からぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようによれば、思い当たることが全然ないでもない。

運命とはもともと人間の理解の及ばぬものの謂(いい)である。その運命を解読するのである。運命の不可解を自明の前提とする伝奇小説の枠組を足場にして、自尊心の追求という近代小説のテ−マに踏み込んでいくのである。伝奇小説の枠組で近代的自我を解明するところがこの小説の独創で、中島はそんな小説の冒険に果敢に挑んで見せるのである。運命とは世界のなかの自己の卑小さの意識であり、自尊心とは世界の中心である自己の偉大さの自覚である。それは決定的に異質であり、その深い溝は越えようがない。ここで作者が直面しているのは、この両立不能な運命と自尊心をいかに両立させるかということであって、この難問を外してはこの作品はない。このアポリアに立ち向かう中島の手にあったのは、<父祖伝来の儒家>で身に着けた漢学の素養、就中対句だった。対句はあらゆるものを整然たる照応の美学に取り込んで見せる表現形式である。

おれは詩によって名を成そうと思いながら、進んで師についたり、求めて詩友と交わって切瑳琢磨に努めたりすることをしなかった。かと言って、また、おれは俗物の間に伍することも潔しとしなかった。ともに、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。

自我の病理が突き止められる。<臆病な自尊心>と<尊大な羞恥心>という対句が自我の病理の構造を見事に暴いて見せるのである。尊大に見える自尊心は傷つけられることを恐れる極めて臆病な心であり、一見臆病に見える羞恥心はその根底において自己の完全性を自明の前提とするすこぶる尊大な心である。このような自意識のパラドクシカルな構造を対句という古代中国のレトリックで鮮やかに捉えて見せるのである。自尊心という屈折した自意識は実体のない関係性に過ぎなかった。自尊心と羞恥心は表裏の関係で無限循環するメヴィウスの輪のごときものであった。輪廻に似たその輪の上を無限に反復する李徴の苦役は徒労に終るしかない。李徴は、<切瑳琢磨>することもできなければ、<俗物の間に伍する>こともできない袋小路に追い詰められていた。自意識はそれを救済する手掛かりを失ったとき、殆ど運命的相貎を帯びてくる。卑小な自我が壮大な運命に似てくるのはそのときである。運命に拮抗して聳立するとき自尊心は美しい。かくて、<臆病な自尊心>と<尊大な羞恥心>という作品の最も美しい言葉が吐かれるのである。運命と自尊という全く異貎のものが、対句の中で同じ相貎で輝くのである。対句が作品のアポリアをいきなり解いてしまうのである。作品のクライマックスを告げる決定的な言葉が吐かれてしまった以上、後はその言葉の解説以外の何が残っていよう。

おのれの珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、おのれの珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。

自意識のメヴィウスの輪は<珠>と<瓦>の二項対立の対句的構図、すべての才能はこの二つに分類されるという決定論に根拠を置いている。この余りに固定的な才能観は人間とはおのれの中に珠と瓦を抱いた存在であり、瓦は磨くことで珠に移行することもあり得るという変革の可能性を認めない。対句の思想はそのような弁証法を欠いていた。もしメヴィウスの輪を断ち切る手掛かりがありうるとしたら、それは磨くことへの決然たる一歩を踏み出すことを置いてはあるまい。自尊心は世界で一番偉いのはおれだという魔法の鏡のつぶやきである以上、あらゆる自己検証は拒まれねばならない。自尊心にとって、磨くとは自己検証以外のなにものでもない。かくて才能にこだわればこだわるほど、才能を枯らしていくという自尊心の自縛の迷路には出口がない。

おれはしだいに世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって、ますますおのれの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。

そして李徴は虎に変形する。中島にとって自尊心の変形はこれ以外に考えられなかった。それではどうして虎なのかの検討を始めなくてはならぬ。

 李徴の最後の告白は次のような言葉で結ばれる。

自分は今の姿をもう一度お目にかけよう。勇に誇ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、もって、再びここを過ぎて自分に会おうとの気持ちを君に起こさせないためであると。

この作品の虎には<勇に誇ろう>と<醜悪な姿>の相反する二つのべクトルを持っている。作品はその両義性を巡って展開する。作品のなかで虎は二度姿を現わすが、最初の場面は

果たして一匹の猛虎が草むらの中から躍り出た。

と書かれている。それは最後の

たちまち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼らは見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、また、元の草むらに躍り入って、再びその姿を見なかった。

と書かれる消亡の場面と対応している。共に猛虎の躍動する勇姿であり、<勇に誇ろう>とする虎である。この作品は地の文と告白の文とで構成されているが、地の文は明らかに勇壮な虎を描いている。

 それでは告白文はどうか。

自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人の前にあさましい姿をさらせようか。

という言葉で始まる李徴の最初の告白が示すように、虎は人間との対比の中で<異類>であり、<あさましい姿>として否定的に扱われている。しかし告白が進むにつれて少しずつ変化が起こる。後わずかしか残されていない人間の時間のなかで、李徴は初めて人間のかけがいない美しさに気づく場面の、この作品の最も美しい文章の一部を引用しよう。

いま少したてば、おれの中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。ちょうど、古い宮殿の礎がしだいに土砂に埋没するように。

<人間の心>=<古い宮殿の礎>と<獣としての習慣>=<土砂>という対句が示すように人間は美しく肯定的な、虎は醜く否定的な記号である。しかし、イメ−ジとして描いてみると、<土砂>は決して醜悪な記号ではなく、<古い宮殿の礎>の美しさを引き出すためのしかけである。廃墟の美を演出する原自然である。人間と虎の美醜の対応が崩れてくるのが分かろう。告白文のクライマックスの段落からもう一つ引用してみよう。

おれは、向こうの山の頂きの巌に登り、空谷に向かってほえる。この胸を焼く悲しみをだれかに訴えたいのだ。おれはゆうべも、あそこで月に向かってほえた。だれかにこの苦しみが分かってもらえないかと。しかし、獣どもはおれの声を聞いて、ただ、懼れ、ひれ伏すばかり。山も木も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、たけっているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、だれ一人おれの気持ちを分かってくれる者はない。ちょうど、人間だったころ、おれの傷つきやすい内心をだれも理解してくれなかったように。おれの毛皮のぬれたのは、夜露のためばかりではない。

もうこの告白のどこからも虎の醜さは感じられない。ここにあるのは悲壮な孤独感、あるいは王者の孤独感とでもいったものである。この虎は他の獣や山木月露をはるかに超越した存在であり、決して醜悪な獣ではない。地の文では月は時間の指標であったが、ここに来てそれは孤独の指標となる。月にむかって吠える悲壮な虎がこの作品のキーイメージとなる。孤独はかくも美化され、虎はあくまで美しい。人間であった頃の孤独までも懐古的に美化され、その孤独の悲壮感が自己陶酔を誘うのだ。<おれの毛皮のぬれたのは、夜露のためばかりではない>という涙を暗示する感傷的な表現は、彼の孤独は涙で救済されるほどものに過ぎなかったことを示している。感傷は自嘲と同様に真の自己省察から目をそらす心情的態度である。ここに来て作品は甘い感傷が漂う青春の文学の様相を呈し始める。告白の初めの、わけの分からぬ運命に弄ばれるやみくもな孤独は、語るにつれて少しずつ人間の手の中に帰ってくる。しかし人間の手の中に回収されたとき、孤独の運命的相貎は失われていた。作品は<慟哭><悲泣>という言葉が示すように自尊心の涙のよる救済へと収拾されていく。

 このあたりで虎の記号性について整理しておこう。地の文の虎は悲壮な美しさで描かれており、告白文は<あさましい>とか<醜悪な>とかいう自己断罪的な言葉はあるが、虎になった自分を真底醜悪と思っていることを裏付けるものは何もない。虎は建前としては確かに負性なのだが、実質は殆ど圧倒的に優性なのだ。そもそも冒頭の<虎榜>は未来の高官を暗示しており、李徴の詩の<今日爪牙誰敢敵>は百獣の王を暗示していることを付け加えておこう。詩人という精神の王者と俗物という精神の賎民のはざまを百獣の王として生きるのが虎の位相である。この虎の位相が自尊心を断罪しながら救済するという作品の構図を決定している。

おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

こうして<羞恥心>=<自尊心>は虎のなかに封じ込められ、その虎が美化されるのである。そこに伝奇小説のロマンチシズムが投影されている。

 この作品は運命と自尊心に翻弄される人間の姿を描いて、自尊心と運命を共に人間の力の及ばないものとして捉えた。このとき、自尊心の劇は伝奇小説の枠組の中で、対句という古代中国の修辞に飾られて壮大な運命劇に転位するのである。中島は自分という謎を問い続けて、ついにその過剰な自意識を捕捉する小説の装置に到達したのである。それは、伝奇と形而上学の、二つの異次元世界が交錯して作り出す新しいパースペクティヴを備えていた。この『山月記』が創出した小説空間は、漢籍という鉱脈から運命と拮抗する人間像を掘り出す原基となる。『山月記』がさし示す小説の未来へ向かって出発した中島は、運命と自尊心の相克の果てに現われるぬきさしならぬ人間の相貎を追いつめて、『弟子』『李陵』に至るのである。



中島敦(明42―昭17)


初出 『国語通信』No.297(筑摩書房) 1987年8月


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作家その原風景―評論


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