絶対の孤独 坂口安吾『桜の森の満開の下』
鍋釜を持たずとは安吾が自分に課した戒律であった。一切非所有の裸形のうちに、安吾は人間の原形を見ていた。人間は所有によって汚れることを安吾は知っていた。所有の魔力は万有引力の法則に似ていて、持てば持つほど物の人間を縛る力は大きくなる。「阿賀野川の水が渇れても坂口家の富は尽きない」といわれた旧家に生まれた彼は、そのありあまる所有の反動、大きすぎる家への憎悪によって、所有を敵視する思想を育てたのである。所有が文化として是認される時代において、非所有に自分の生存の根拠をおくとき、人はどんな異端の相貌を生きねばならないだろうか。
安吾の人生は父への侮蔑と母への憎悪から出発する。政治家である父は家を顧みる暇はなかったし、子沢山で没落しはじめた旧家の主婦は、この十二番目の子供に手をかけるには多忙すぎた。父母への反感は愛を求めて満たされない心の裏返された表情であった。とくに母に見放された子供は、自己の生存の基盤を失ってさまよう他はないのである。すでに幼稚園を抜け出して放浪した子は、九歳のとき、家のだれかを殺すつもりで出刃包丁をふりまわし、家族という最も基本的な人間関係を切断するのである。こうして人間世界から疎外された子は、自然に向かって歩む他ないのである。中学生になると、ある時期ほとんど学校へも行かず、毎日日本海の荒海を見て暮らしたという。人間世界から見棄てられた心は、海と空と風の中に自分のふるさとを見出したのである。海も空も風もはてしなく無限であった。その捉えようもない巨大さの中に虚無を宿していた。そこには無限への衝動が秘められていた。あるいは漂泊へのいざないと言ってもよかった。それが彼の原風景なのである。『木枯の酒倉から』(昭6)『風博士』(昭6)『ふるさとに寄する讃歌』(昭6)と彼の文学的出発を告げる三作品が海と空と風を描いているのは誠に象徴的である。
こうして出発した安吾の人生は、例えば『古都』(昭17)に書かれたような、京都伏見でのドテラ一枚、浴衣二枚だけでの彷徨、<百鬼夜行>と彼が呼ぶどん底の人生の落伍者たちとの交渉を通して、ますます非所有無頼に徹していく。そして、昭和十七年には、そうした生き方の結晶として、珠玉のエッセイ『日本文化私観』が書かれる。ブルノー・タウトの同名の書のパロディーとして書かれたこの書は、次のような一節を含んでいる。
京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなくては困るのだ。我々にたいせつなのは「生活の必要」だけで、古代文化が全滅しても、生活は滅びず、生活自体が亡びないかぎり、我々の独自性は健康なのである。
鍋釜を持たずの非所有がここでは<無きに如かざるの精神>と呼ばれるが、この人間生活を全面否定しかねない精神に対して、人間生活の存在を認めようとするならば、その接点に<生活の必要>という基準が設定されなければならない。そういう観点からは<古代文化>は<電車>の前で否定されなければならないのである。それでは<生活の必要>にとって美とはどんな形で現われるのであろうか。安吾は、小菅刑務所とドライアイス工場と軍艦をあげて、
この三つのものが、なぜ、かくも美しいか。ここには、美しくするために加工した美しさが、いっさいない。美というものの立場から付け加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取り去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。
という。一切非所有と人間の無限の欲望との相否定し合う空間で、物はすべての虚飾を振り払って必要という骨格を見せる。そのようにのっぴきならぬ形姿においてのみ物は美しい。しかし、それはあくまで<生活の必要>という徹底した現実主義上から生ずる美である。そのとき、生活の余剰の美である芸術は存在し得るのであろうか。
無きに如かざるの冷酷なる批評精神は存在しても、無きに如かざるの芸術というものは存在することができない。存在しない芸術などあるはずはないのである。そうして、無きに如かざるの精神から、それはそれとして、とにかく一応有形の美に復帰しようとするならば、茶室的な不自然なる簡素を排して、人力の限りを尽くした豪著、俗悪なるものの極点において開花を見ようとすることもまた自然であろう。簡素なるものも豪華なるものも共に俗悪であるとすれば、俗悪を否定せんとしてなお俗悪たらざるを得ぬ惨めさよりも、俗悪ならんとして俗悪である闊達自在さがむしろ取り柄だ。
<無きに如かざるの精神>から<人力の限りを尽くした豪著、俗悪なるものの極点>へ、一切非所有から全的所有へ、安吾が飛躍するのはここにおいてであり、その飛躍を支えるのは<それはそれとして><また自然であろう>というような支離滅裂の非論理であり、その超論理の中に安吾は居るのである。一切非所有という文明批評が当然到達するはずのニヒリズムに到らず、反転して俗悪なる文明の肯定に到る。その対極から対極へ飛ぶ振幅の大きさ、そこに安吾のダイナミズムがあり、そのとき安吾は決して自己分裂に陥ることなく、悠然たるアイデンティティ(自己同一性)を保っているのである。ともかくも安吾は一切非所有か全的所有かの二者択一だ。その中間の妥協を彼は拒否するのだ。しかし、人間社会はその中間の色合いのさまざまなニュアンスで成り立っており、リアリズムとは、そのような位相における人間把握の謂(いい)である。安吾は過激なアンチ・リアリストである。かかる原理に到達した人間にどのような生き方が可能であろうか。彼は世のさまざまな掟と衝突せざるを得ないであろう。人の世の約束を踏みはずさざるを得ないであろう。彼はそういう生を<淪落>という。あるいは人はそれを<無頼>という。人の世の約束が彼の原理に逆らって組み立てられている以上、いや、彼の原理が社会のモラルに逆らって組み立てられている以上、彼の生はいつも人の世からまっさかさまに転落せざるを得ないのである。彼の『青春論』(昭17)が淪落をめぐって終始する所以である。ともかく、安吾はこの『日本文化私観』において自分の立脚点を確定し得たのであり、戦後の高名な『堕落論』(昭21)も、ここで到達した思想の、戦後の状況に合わせた解説にすぎなかった。
いっさいの社会の約束、モラルを否定したとき、人間はいったいどのような相貌を呈するのであろうか。そういう淪落を堕ち切ったとき、人間はどのような地平に立つのであろうか。安吾はそのような人間の宿命を追いつめて、『文学のふるさと』(昭16)を書く。これは『日本文化私観』の文学版であり、己れのよって立つ文学の基盤の確認の書であった。この文学の本質を赤裸に追いつめた文学論の絶品は、三つの物語、『青髭』(ペローの童話)、『伊勢物語』、『鬼瓦』(狂言)を素材として、人間論の極限まで行きつく。
この三つの物語が私達に伝えてくれる宝石の冷たさのようなものは、なにか、絶対の孤独――生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独、そのようなものではないでしょうか。(中略)この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとをここに見ます。文学はここから始まる――私は、そう思います。
鍋釜を持たずの精神が人間の全文明史を横切って、未踏孤絶の世界に行きつく。その人間世界から突き放された暗黒の世界、一切の救いから拒まれた孤絶の中で、人間はいかに生きるのか。そのとき安吾は、救いがないことは絶望であるという世の常の論理を、救いのないこと自体が救いであるというように突き抜けていく。一切の救済から拒まれてなおその非救済をふまえて自立する安吾の精神の強度が、<絶対の孤独>という人間世界の極北まで彼を拉(らっ)し去るのである。安吾がこの「文学のふるさと」というエッセイで覗見(しけん)した人間世界の断崖のその彼方を、『桜の森の満開の下』(昭22)では、改めて正面に据えて、具象化してみせるのである。生前から安吾はエッセイストであって作家ではないという評価があるが、この作品はエッセイで提示した主題を、見事な形象力で展開深化させて安吾の作家的力量がエッセイストの才能を超えるものであることを示した傑作である。
『桜の森の満開の下』は、その冒頭の部分に<桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になります>という一行がある。それはぼくらが桜の花に対して抱いている通常のイメージを一突きで転倒させるすさまじい衝撃力を秘めていて、この一行でほぼ作品世界が決定される。桜の花の下から人間を取り去るだけで、桜の花はぼくらの抱いているイメージとは全く別種の、異様なものに変貌するのである。そういう既成の概念に一つの仮説を持ち込むことで、その概念を覆すという発想は全くエッセイ的で、次に愛児をさらわれた母親が桜の花の下で愛児の幻影を見て発狂するという話を持ってきて、仮説を補強するのもまたエッセイ的である。そういうエッセイ的文章に導かれて、ぼくらは人間に飼い慣される以前の、原始の自然の世界に直面するのである。
エッセイ風な冒頭の設定の次に、作品は、昔、鈴鹿峠に一人の山賊が住んでいたと、急転してメルヘン調となる。山賊は街道へ出ては情容赦なく着物をはぎ、人の命も断つようなずいぶんむごたらしい男で、もちろん、人の道を踏み外した淪落の徒であったが、こんな男でも桜の花の下はやはり怖ろしくて気が変になりそうだった。
花の下では風がないのにゴウゴウ風がいっているような気がしました。そのくせ風がちっともなく、一つも物音がありません。自分の姿と跫音(あしおと)ばかりで、それがひっそり冷めたいそして動かない風の中につつまれていました。花びらがぼそぼそ散るように魂が散っていのちがだんだん衰えて行くように思われます。
男はそんな桜の花の、いのちを散らすような底なしの虚無のはりつめている不思議な怖ろしさをつきとめたいと思いつつ、来年こそ、来年こそとやり過ごし、はじめは一人だった女房がもう七人にもなっていた。八人目の女房を手に入れる話からこの物語がはじまる。この八人目の女房はただ者ではなかった。彼女を手に入れたとき、あまりに美しすぎたので、思わず彼女の亭主を斬りすててしまったほどだ。彼女を背負って住処へたどりついたとき、女は七人の女房たちのあまりの醜さに驚き、それでも顔形の整った女から次々に殺すことを命じ、最も醜い女を女中として残して六人を殺させる。女は出合いの瞬間から絶対者の相貌を帯びていた。六人の女房を殺して、男はあたりにたちこめている静寂にぎょっとする。そのとき、女の美しさに魂を吸い寄せられつつも、彼の心は不安だった。その不安は何だか、あの満開の桜の花の下を通るときの気持に似ていた。女は男の存在の根底を脅かす何かを持っていた。すでに女と桜の花の類縁性に男は気づきはじめていた。
女は大変なわがまま者であった。彼女のどこにも生活者の影がない。彼女はいわゆる女房ではない。自由な女だ。彼女は満足ということを知らなかった。彼女は櫛(くし)だの笄(こうがい)だの簪(かんざし)だの紅だのを大切にし、男にも決して触らせない。そういうもので飾りたてていくと輝くばかりの美があらわれ、男は目をみはり、圧倒されていくのであった。女の美の背後に<都>があり、男の中に<都>を怖れる心が生まれる。しかし傲岸不遜な男は美に対して自分の強さで対抗する。彼は都の男たちのだれにも負けたことがなかったのである。しかし、女の方が一枚上手であった。<お前がほんとうに強い男なら、私を都へ連れていっておくれ>と男の気持を逆手にとって、自分の欲望を実現させていくのである。男は都へ行く前に、あと三日後に咲く桜の花を見て行こうと決心する。どうして桜の花を見なければならないのかと女に問いつめられて、
「花の下には冷たい風がはりつめているからだよ」
「花の下には涯(はて)がないからだよ」
と答える。そのとき、女は<苦笑>する。その苦笑を男は<刀で斬っても斬れない>と思う。苦笑を通して一瞬かいまみた女の本性の<冷たさ>は男の力の及ばない次元で男を脅かす。桜の下にふみこんだときも、男は女の苦笑を思い出す。それと同時に<花の下の冷めたさは涯のない四方からドッと押し寄せて>来る。その風に吹きさらされて彼の身体は忽(たちま)ち透明になる。それは何という<虚空(こくう)>だろう。いっさいの虚飾や幻想が剥ぎとられ、身体も魂も一瞬にして漂白されて人間が裸形に還元される果てしない虚空、絶対の自由、そのようなもののはりつめている桜の花の下は生身の人間のついに耐え得る世界ではなかった。男は息も絶え絶え逃げ帰るのである。
男と女は都に住むことになった。男は夜毎着物や宝石や装身具を盗んで女に与えたが、女の心はそれだけでは充たされなかった。女が何よりも欲しがったのは人の生首であった。女の首遊びがはじまる。女は次々と首を要求し、首は家来を連れて散歩し、別の家族を訪問し、恋をする。毛が抜け、肉が腐り、白骨になっても女はどこのだれの首かを覚えていた。この悪逆非道ともいうべき首遊びが決して醜悪な感じを与えないのは、彼女の中に抑制装置のこわれてしまった人間の欲望のはてしなさの悲劇が追求されているからである。彼女はだれをも愛さず、だれにも属さず、はてしなく孤独だった。彼女は歯どめない絶対者であった。彼女は無限の自由の中で、人間の欲望のはてしなさに殉じ、ついに人間世界を突き抜けてしまうのである。鍋釜を持たずという地点から人間を見ていた安吾は、無限の欲望という対極の人間の悲劇がよく見えたのである。
一方男は都が嫌になった。そして何よりも退屈に苦しんだ。人間どもというものは退屈なものだと彼は思う。彼は人を殺すことにも退屈した。彼は首遊びをする女の気持ちがわかるような気がした。世の常の営みからはずれてしまった男が、これまた世の常の倫理からはみ出してしまった女の気持がわかるというのだ。けれども男は女の欲望にキリがないので、そのことにも退屈していた。女の欲望は<常にキリもなく空を直線に飛びつづけている鳥>のようなものであった。彼はその無限の無意味さに疲れはてた。女を殺すことでその無限の飛翔をとめることができると男は気づく。しかし、それは同時に自分をも殺すことだと男は気づくのであった。男は何もかもわからなくなって数日都の山をさまようのである。そんなある日鈴鹿の山の桜の森を思い出す。男は山へ帰ろうと思う。彼は悪夢からさめた思いがする。男にとって山が、あの桜の森のある山がいのちであり、根源の場所だからである。ところが女も一緒に山へ帰るという。<私はお前と一緒でなきゃ生きられないの>という。新しい首は女のいのちであり、女に首をもたらすのは男以外にはなかったからである。ともかく今や、男と女は分かち難い分身であり、離れるわけにはいかないのである。男は夢でないかと喜び、愛する女を背負い、愛する故郷の山へ帰っていくのである。こうして女と山との宿命的な出合いが用意される。男は女を背負って満開の桜の下へ歩いて行く。彼はふと女の手が冷たくなっているのに気づく。女は鬼になっていたのである。
男の背中にしがみついているのは、全身が紫色の顔の大きな老婆でした。その口は耳までさけ、ちぢくれた髪の毛は緑でした。
桜の森の満開の下では、すべてのものがその正体をさらさざるを得ないのである。女は醜悪な鬼の姿をしていた。これが孤独の正体であった。男は振り落とそうとするのだが、鬼の手も彼の喉に喰い込んでくる。必死の格闘のはてに、彼の手は鬼の首を締めていた。気がついたときは、女は屍体となって横たわっていた。彼は女の体をゆさぶって泣いた。男は桜の森の真中に据(すわ)っていたが、日頃のような怖れも不安も消えていた。
桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。あるいは「孤独」というものであったかも知れません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独でありました。
作品の最後に至って<孤独>というキー・ワードが提示される。このことばによって作品は一気に解明される。<孤独>こそこの作品が追求してきた主題である。安吾の孤独は自然に結びついている。この作品では孤独のふるさとを自然に求めたのである。自然は<桜の森の満開の下>と命名されて、人間世界の彼方の非人間的なもの、いかなる擬人化も拒否する本来的自然であり、鍋釜を持たずという人間の文明史を一足でまたぐ巨人の発見した自然であり、その自然の虚空の空しさは人間の耐え得るものではなかった。この作品の成功はまずこのようなメタフィジックな自然の創造にかかっている。この自然はそこに近づいて来る人間の孤独をあぶり出すしかけを秘めている。このように独創的な状況の設定にも、安吾の作家的力量が示されている。
それでは、そのような状況の下であぶり出される人間の孤独とはどのようなものであったのか。男も女も切なく孤独であった。とくに女の孤独は凄惨を極めた。ただひたすら自分の欲望を追い求めて<首遊び>という人間世界を遠く離れた鬼の所業まで行きついてしまった。孤独のはてに桜の森の中で鬼に変貌する結末部のメルヘン風変身譚は孤独の疎外感の深さ、とりつくしまもない他界性を見事語っている。男は女を愛していたから、女の姿を通して自分の孤独を知ることができた。しかし自分の孤独を知ったとてどうなるものでもない。その孤独ゆえに愛する者を自分で殺してしまって、さらに深い孤独におちていくのである。こうして彼は一切の救いから見放されて、救いのないことを救いとする以外にありようのない存在のどん詰まり、人間存在の最基底におり立つのである。孤独そのものと化した男は女とともに花びらとなって消えていくのである。
あとに花びらと、冷めたい虚空がはりつめているばかりでした。
と作品は終わる。男と女が花びらとなって消滅するというメルヘン風の結末に至って、非道の男と女の地獄の物語は人間の運命の無限の悲哀の物語となるのである。生きていた何の痕跡すら残さない完全な消滅は、孤独の怖ろしいまでの空しさを語って余すところがない。それは読者を虚空の空しさの中へ突き放し、置きざりにしてしまう。
その結末の見事さは、例えば同じテーマを扱った『夜長姫と耳男』(昭27)の結末と比較してみるとよくわかる。この作品では山賊が耳男という職人(芸術家)に、女が夜長姫という長者の娘に設定され、そこで追求される孤独は芸術家の孤独というもので、『桜の森の満開の下』の人間の孤独に比べて狭くて浅い。最後に、耳男はわがままな絶対者の姫を殺すのだが、殺される姫は男の手を取り、ニッコリとささやく。
「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ。(中略)いま私を殺したように立派な仕事をして……」
という。この饒舌な解説は「桜の森の満開の下」の黙って消えていくメルヘンの沈黙に及ばない。安吾は奔放で饒舌で、その点でエッセイという形式によくマッチして数々の秀作を残したが、この『桜の森の満開の下』ではメルヘンという形式の中に自己を潜ませて、メルヘンの形象力をいっぱいに使って、彼の文学の基本テーマである「孤独」を実にあざやかに描いてみせた。そして彼の作家的力量がエッセイのそれを超えるものであることを証明してみせたのである。
坂口安吾(明39―昭30)
新潟の旧家に、政治家の父坂口仁一郎の五男として生まれる。幼児から反逆児の片燐を示し、中学留級、転校、放浪と無頼の生を生きる。一方では印度哲学の研鑽(けんさん)に打込むような求道的傾向を持つ。無頼と求道の振幅の大きさの中に文学のスケールも示されていた。
初出 | 『貫生』第7号 | 1982年11月 |
単行本 | 『作家 その原風景 短篇小説さすらい抄』 | 1985年3月 |
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