病者のダンディズム 吉行淳之介『漂う部屋』
人はだれしも脅えるものだ。人が脅えるとき、あるいは脅えに対して身構えるとき、その人のありようは紛れようもない形で浮かび上がる。それを作品化すれば、その作家の文学の原型がどこかであぶり出されるものだ。抑制の美学を基底にふまえた吉行の文学は、あらわな脅えを描出することはない。ところが入院体験を素材とした『漂う部屋』(昭30)は小説の時間の中で成熟するいとまもなく書かれたという事情とも相俟って、はからずも、そのエッセイ風なエピソードの行間から吉行の脅えが露見するのである。この作品が露呈している脅えは多分吉行文学の原質を示している。
『漂う部屋』の主人公<私>は肺結核の手術を受けるためにある療養所に入院しているのだが、その新しい環境のすべてに<自己嫌悪に陥る>ほどにも脅えている。この療養所では午後一時から三時まで絶対安静の時間であるが、そのとき仰臥している患者の多くは、タオルを細く折りたたんで両眼の上に載せている。その姿勢は不吉な予感を漂わせて私を脅かす。また広い病室の隅のベッドを白いカーテンで仕切って孤立させて重患用のコーナーを作っているのだが、その白い幕の隙間から覗いてみたならば、中に人間の形をしていないものがベッドの上にうずくまっているのが見える、という妄想に脅かされる。これらは病者の世界が醸し出す死の影への脅えであるが、それが後者のような形をとるとき、脅えというものは普通やみくもに襲ってくるものなのに、この恐怖には一定のフォルム(様式)があり、フォルムを通して恐怖を深化する吉行の感性の文化史があり、彼のすぐれた恐怖の語り手としての資質の片鱗を示している。
脅えがもっとあらわに露呈するのは対人間の場合においてである。まず呼吸停止の検査をする<色の黒い、眼の鈎り上がった、怒ったような顔つき>の看護婦には、ことあるごとに虐められる予感に脅かされる。またその呼吸停止のとき、私と同時に検査を受けて三十五秒しか停止できなかった青年が、私の停止時間が一〇〇秒を超えたとき、<あんまり、ムリするなよ>と悲鳴に近い叫び声をあげる。その声は、病者の世界では<一〇〇秒も息を止めているということは、許すべからざる裏切りだ>と叫んでいるようにおもえ、<入場券を持たないで劇場の中をぶらついているのを咎められたような気持>になる。さらに、私は同室の私のベッドの近くにいる電気屋の東野さん、大工の南さん、自転車屋の西田さん、国鉄の車掌の北川さんといった、幼い頃から自分で稼いでいる人々に妙な気おくれを感じる。これらの脅えははじめて出合った異質の人間への脅えであり、それはエリートの民衆へのコンプレックスに根ざしており、蕩児のかたぎへの負い目という色合いを帯びていた。もっと一般化して言えば、吉行の文学はこのかたぎの社会に入場券を持たないでぶらついている余計者の文学なのである。
人はそれぞれ自分の原風景を持っている。それはある状況の額縁の中であらわれる運命的な自我像である。彼の場合、それは太平洋戦争の開戦という歴史的状況の中で訪れる。この作家の超時代的ポーズにもかかわらず、彼がいかに時代の中に生きているかもそれは示していた。「戦中少数派の発言」というエッセイから引用する。
昭和十六年十二月八日、私は中学五年生であった。その日の休憩時間に事務室のラウド・スピーカーが、真珠湾の大戦果を報告した。生徒たちは一斉に歓声をあげて教室から飛び出していった。三階の教室の窓からみると黒山の人だかりとなった。私はその光景を暗然としてながめていた。あたりを見まわすと教室の中はガランとして、残っているのは私一人しかいない。そのときの孤独の気持と、同時に孤塁を守るといった自負の気持を、私はどうしても忘れることができない。
ここには開戦という国家の祝祭に参加できないで集団から疎外された孤立感と、そのような集団の愚劣を冷然と見下ろす自恃に立脚した反俗のエリート吉行の原質が鮮明に示されていた。この戦争に背を向けた戦中少数派は戦後民主主義にも背を向ける戦後少数派と化し、自己の孤独な生理にふさわしい場所として娼家にたどりつくのである。この一般社会から疎外され、蔑まれた娼婦の町が反俗のエリート吉行の生理になじんだのである。彼はそこで蕩児という仮面をつけて生きることになるのである。彼はすでに「娼婦物」といわれる『驟雨』(昭29)を書いていたのである。
この学生、作家、娼家を自分の生活の領域として持ったエリートが、この病院ではじめて異質の他者、民衆と起居を共にしたとき、彼は自分を余計者として意識せざるを得なかった。ともあれ私は同室者への脅えに直面し、どういう対応をしていいのか見当もつかないので、窮余の一策として<ワイダン>を喋ることにする。<ワイダン>は音楽に似て、注釈抜きで通用するから。<脅え>に対するに<ワイダン>をもってする、そういう反応は次の医者への対応に似ていないだろうか。
医者は私のレントゲン写真を見ながら、<これは、骨を三本も取ればいいでしょう>と無造作に言う。私はその医者の言葉にひるみ、侮辱を受けた気持になる。私は自分の骨を医者の手から取戻し、その骨でイヤリングを造って好きな女の耳を飾ったり、耳かきをこしらえて耳の穴をほじくったりする空想をして、気持を紛らそうとする。医者から脅かされた<侮辱>を<イヤリング>や<耳かき>というユーモラスでとぼけたものに変形することで、心理のバランスを回復する、このようなダンディな反転力は彼の生得のものなのであろうか。
私は自分の脅えからして同室者の目に<小心で初心なサラリーマン>と映るだろうという私の予想を裏切って、意外にも<ズウズウしくて、スケベエで、物分りのよい人間、神経が顫動を起こすことには縁遠い人間>という<役割>を貰ってしまう。これには<動揺が表情にあらわれない>という私の体質もあずかっていよう。この役割の定着までに二ヵ月を要した。私は与えられた役割という<城>に潜りこんで、あたりを<観察>しはじめるのである。吉行の文学は<薔薇販売人>という仮面をつけることで、日常世界の裏側に広がるメルヘン的世界へ入って行く男を主人公とする『薔薇販売人』(昭25)からはじまったが、『漂う部屋』では、役割という仮面はすでに自ら選び取ることはできない。例えば同室の東野さんは女のこととなると頭の中が灼熱し尻に火がついたように病室から飛び出して行くので<ジェット機>という綽名をつけられ、それに不満で綽名を変更しようとあせるのだが、あがけばあがくほど事態はこじれていくばかりなのである。綽名や役割は他者との力関係に支配されていて、自分の力だけではどうにもならないのである。このような力学に規定された役割は、立てこもるべき<城>であるとともに、<観察>という出撃の拠点でもあるという柔軟にして強靱な構造を持っているのである。『薔薇販売人』の仮面から『漂う部屋』の役割へ、吉行流リアリズムは確実に精緻の度を加えていくのである。こうして<脅え>を<役割>で受け止め、反転させていくことで、私の生は新たな展開へ向かう。
病者である私を脅かすものは、何よりも手術であり、手術の痛みであり、その向こうに隠れている死の影である。手術に向かうとき私は、
痛い、とか苦しい、とかいう言葉を一言も言うまいと考えた。そういう気取りで身を装うことに心の支えを見付け出して、その瞬間をやり過ごして行こう。
と考える。手術を迎える心構えを<気取り>という言葉で表現するところに、私の生きる姿勢、あるいはダンディズムが示されている。入院前、私はまるで家屋改築の設計図でも作る具合に、机の上に図面や書類を拡げて研究したり、手術のカラー写真を刺戟を受けなくなるまで眺めたりした。それは自分の肉体を即物的に捉える医者の無造作な視線に迫る心情の鍛練なのである。この手術に臨む準備の周到さは、あの<気取り>というダンディズムがどんなストイシズム(克己)に支えられていたかをあます所なく示している。私に与えられた<神経の顫動を起こすことのない人間>という役割は、私の演じようとする人生の劇の役と符号していたともいえる。それゆえ、私は手術後目覚めたとき、まず自分を心配そうに覗きこんでいる人々に向って<ビールを飲みたい>とズウズウしい男としての自分の役割を演じることを忘れないし、また演じることに喜びを見いだしてもいるのである。この並々ならぬ演技力をみると、ダンディズムとはいかなるときも自分の役割をベストに演じぬく確乎たる倫理と化したかのごとくである。
この療養所には第四病室も第九病室もあり不吉とされる数字も避けていない。私は十三号の大部屋に入院し、手術を受けて一週間目、四号室の患者が死んだので、私がその後へ移ることになった。私に移室を告げる主任看護婦の毅然とした態度は、出て行く戸口で不意に崩れ、妙にもじもじしながら、<あのう、もしイヤだったら、我慢しないでイヤと言っていいのですよ>と言いはじめる。私に特定の数字を不吉におもう気持はない。脅えるはずのものが脅えないとき、脅迫者の毅然は揺らぐのである。その脆さのおかしみが私の観察眼にむき出しに捉えられる。それでも四号室の先刻まで死体が人間の形に排除していた空気の隙間の中に、私の躯がすっぽり嵌めこまれてしまったとき、
ぴったり死体に接触していた空気の壁をいくらかでも向うへ押しやろうとするような具合に、私は躯の痛いのも忘れて身じろぎしていた。次の瞬間、自分のしていることに気付いた私は、はげしい可笑しさに襲われた。
ここには死の恐怖にひたされた状況の中で、脅える自分を見つめ、脅えること自体のおかしさに気づき、笑いによって脅えを超えるダイナミズムがある。これこそ吉行のダンディズムを支える発条(ばね)である。このしなやかな反転力は脅かすものを対象化し、滑稽化する逆転の装置を内包している。同じ病者の文学でも、例えば芥川の自己観察にはそのような装置を欠いでいた。それは病院に行くことすら怖れて自滅する『歯軍』の脅えを思い出すだけで十分である。『歯車』からは痛ましい悲鳴しか聞こえてこないが、『漂う部屋』からはユーモラスな哄笑が聞こえてくるゆえんである。
吉行文学の笑いは、この作品の第一章に描かれている、部屋の隅にある白いカーテンの仕切りに入っているある重症患者の笑いの中に典型的に描かれている。その患者が何時間にもわたって喀血の咳が続いているとき、誰かのラジオが手違いで突然大きな声で、<ナムアミダブツ、ナムアミダブツ>とひびきわたったのだ。部屋の中は一瞬ざわめき、あちこちで笑い声が起った。それで終ればよかったのに、おせっかいな正義漢が出てきて、<ナムアミダブツなんて、××さん(白いカーテンの中の人)に悪いじゃないか>と言い出して、大喧嘩がはじまるのである。やがて人々は言ってはならないことを口にし、そのことに気づいて、一瞬病室が森閑とする。そのとき、笑い声が白いカーテンの中側から聞こえてきたのだ。
その声は、自虐や自嘲の陰のない透明な笑い声だった。私はカーテンの中の人の強靱さに、胸を衝かれた気持だった。重症の躯からもう一人のその人が脱け出して、いまの状況を眺め議論を聞き、そして普遍的な問題として笑うことができたのだろう。
この笑いこそ吉行のダンディズムの極致なのである。そしてこの作品は、そういう境地へにじり寄って行く男の苦闘を描いたものである。
最後に私が至りついた心境を示すエピソードを一つ紹介しよう。私が四号室へ移ってから毎夜、消燈時間が過ぎると四号室の呼び出しランプが私がベルを押さないのに点燈するという刺戟的な出来事が続き、深夜見まわりの看護婦が二人手をつないで、こわごわ歩いているという話がつたわってくる。四日目、またもや、寝入ばなに起こされた私は、顔を出したのが私が入院したとき呼吸検査をした色の黒い気丈そうな看護婦であったせいもあって、
迷惑な気持と、いたずら気とが一緒になって
「僕はベルを押しはしないけどね、なんだか天井の穴から青い手が伸びてきて、ベルを押したようだったよ」
とからかってみるのも、そういう状況の中で迷惑を楽める、恐怖を滑稽化できるダンディズムのあらわれであろう。
「ヘンなことを言うのはやめてください」と叫ぶように言うとドアを押しつけるように閉めた。私はその烈しい勢におどろいていると、しばらくしてからドアの外側で忍び笑いをする声が聞こえはじめ、その笑いが少しずつ大きくなりながら、廊下を遠ざかってゆく靴音がひびいた。
私は彼女の一瞬の脅えを確認し、ほぐれたやさしい気持になり、暗闇の中でしばらくひとりで笑う。こうして私はズウズウしい人間という役柄を噛みしめつつ、脅える人間から脅かす人間へと、演技の領域を拡げていくのである。現実を舞台と化す決意の中に作者吉行淳之介はいたのである。それが吉行文学の現実との距離である。つまり現実と作品を隔てているのは虚構でなく演技なのである。ここにこの作品の私小説性がある。
この作品には実は描くべくして描かれなかったもう一つの脅えがある。彼らが以前所属していた社会へ復帰できるかどうかという入院患者にとって切実な不安である。社会的経済的な脅えである。それは第四章の北川さんの退院の中で描かれているけれども、結局、この療養所を<外の世界から浮び上がり、漂っている><漂う部屋>と捉えるように、この部分はリアルに描かれていない。社会への脅えは極めて象徴的に<漂う部屋>という表題の中に閉じこめられ、暗示されているに過ぎない。正面から取り組むにはあまりに巨大で深刻なテーマなのだ。そこに吉行のダンディズムのアキレス腱があるのかも知れない。しかし、それは多分無いものねだりだろう。もともと吉行文学は社会という概念の拒否の上に成り立った文学なのだから。
ともあれ、入院は他者との接触の少なかった吉行にとって貴重な体験であった。娼家が彼の文学を育てた母胎であったように、病院は彼の人間学を深めた揺籃であった。蕩児のストイシズムは、さらに病者のダンディズムを加えることで、吉行文学の人間解釈学の味わいはいっそう深まっていくのである。
吉行淳之介(大13―平6)
新興芸術派の作家吉行エイスケの長男。若くして死んだ父へのコンプレックスに長くこだわる。反俗の知性が性と出合うところに吉行文学が成立する。あくまで性に執し抜くことで人間認識を深めていく。性への視座の変遷につれて、その文学も変容していく。
初出 | 『貫生』第2号 | 1981年3月 |
単行本 | 『作家 その原風景 短篇小説さすらい抄』 | 1985年3月 |
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