羅生門の闇 芥川龍之介『羅生門』
私たちはだれしも青春の入口にさしかかるころ、いちどは芥川龍之介を手にとる。そして今まで読んでいた少年少女読み物や童話や漫画とは違った人生の香気といったものにふれる思いをもつ。何かしら今まで見えなかったものが見えはじめるような感動を覚える。つまり芥川の作品は年若い人々に文学への目を開かせる文学入門の役割を果すことになる。同じころ、人々は夏目漱石をも手にとってみる。そして多くの人々は青春を後にしてもういちど漱石の作品を読み返す。しかし芥川を再び手にする人は極めて少ない。この師弟の差はいったい何を意味しているのだろう。それは多分、芥川文学は青春の文学であり、それを超え得なかったことを示しているように思えてならない。それでは芥川は自分の青春をどのように捉えていたのだろう。
遺稿『或阿呆の一生』(昭2)の「一、時代」は次のように書かれている。
それは或本屋の二階だった。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子に登り、新しい本を探していた。モオパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、イブセン、ショウ、トルストイ、……(中略)彼は梯子の上に佇んだまま、本の間に動いている店員や客を見下した。彼等は妙に小さかった。のみならず如何にも見すぼらしかった。
「人生は一行のボードレエルにも若(し)かない」
彼は暫く梯子の上からこういう彼等を見渡していた。
ここには死を前にした芥川が捉えた二十歳の青春の自我像が示されている。現実と芸術の間にかけられた梯子の上の宙吊りの自分が正確に描かれている。現実への嫌悪と芸術への憧憬の間に引き裂かれた自分の運命が象徴的に捉えられていて、彼の生涯はこの二十歳の自画像の構図からはみ出すことはなかったのである。彼の文学はついに青春を超えて、漱石が直面したような人間存在の奥底に広がる巨大な闇を見ることはなかった。しかし私は芥川の処女作『羅生門』(大4)の中に、人間存在の本質的な闇に迫り得る可能性が一瞬点滅したように思えてならない。
芥川の文学は存在の暗部に惹かれる傾向がある。<予が醜悪な心事を暴露せんとす>(『開化の殺人』大7)というモチーフが彼の文学を貫いていたように思う。それは実母の狂死と養家の<中流下層階級>的生活への嫌悪にその基盤を置いていた。そこでは人は外面的虚飾に捉われて<娑婆苦>という表層にとどまり、人間的真実から隔てられていると芥川は感じていた。彼はそのような自己の生存の位相を激しく憎んでいた。それが彼に醜悪なものに真実を求める心性を育てた。しかし彼は醜悪なものを醜悪なままに暴露した自然主義作家たちと違って、それをどこかで美に転化しようとする芸術家意識があって、そういう構えが彼の文学に粲(きらめ)きを与えているのである。彼の文学の根底にうづくまる、この醜悪な美といったものへの傾向が、例えば『今昔物語』をたぐり寄せるのである。後年『今昔物語に就いて』(昭2)の中で、
最後に『今昔物語』は最も野蛮に、―或は殆ど残酷に彼等(当時の民衆―引用者)の苦しみを写している。
と書いているように、国文学者の誰ひとり発見できなかったこの古典の美を、野蛮で残酷な美として発掘するのである。この発見で彼は醜悪な美を小説化する手がかりをつかんだのである。醜を描き続けると、そのはてに美が現出し、人間を描き続けると、背景が人間を押しのけて浮上するというパラドキシカルな小説のしくみを会得することで、『羅生門』は習作から飛躍し、芥川の文学的開眼を刻印する作品たり得たのである。
さて、『羅生門』の受容史をふり返ってみると、今までの読みの一般的傾向は、<下人の心理の推移を主題とし、あわせて生きんがために各人各様に持たざるを得ないエゴイズムをあばいたもの>という吉田精一の読みとそのバリエーションの域を出ていないようだ。登場人物に焦点を合わせ、その心理やモラルや生き方を解明していく「人間論」的読みに終始している。私はそのような読みではどうしでも読み切れないものが残っていくように思われてならない。それで羅生門に焦点を合わせた「状況論」的視点とでもいうべきものでこの作品を読んでみたい。
『羅生門』は周知のように『今昔物語』を素材としており、「羅生門登上層見死人盗人語」を主資料とし、「太刀帯陣売魚嫗語」を挿話として使っている。
ある日の暮れ方のことである。ひとりの下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
冒頭の一行で作品の状況の枠組をぴしゃりと決めている。<暮れ方>の<雨>の<羅生門>の下の<下人>という作品の骨格が出揃っているのである。続いて、
広い門の下には、この男のほかには誰もいない。ただ、所々丹塗りの剥げた、大きな円柱にきりぎりすが一匹とまっている。
の<きりぎりす>、こういうディテールによって状況を輝かすたくらみが随所にこらされていて、彼の文体を非常に技巧的にしている。こうして雨の夜の死体の捨て場と化した羅生門の異臭に満ちた状況が設定されるのである。
さて、<この雨の夜に、この羅生門の上で>という状況をふまえて、<火をともしているからには、どうせただの者ではない>と人物を状況にふさわしい異様な者として導き出してくるのである。そのただの者ではないと予告された老婆は
猿のような老婆
鶏の脚のような骨と皮ばかりの腕
瞼の赤くなった肉食鳥のような鋭い目
鴉の鳴くような声
蟇のつぶやくような声
というように動物の比喩によって、人間以下のもの、醜怪な動物的存在として形象されている。老婆は死骸同様、羅生門に醜悪さを添える飾りとしてそこに置かれている。
羅生門を通過する<旅の者>なる下人の形象も方向は同じである。
猫のように身を縮めて
やもりのように足音をぬすんで
というように、羅生門の荒廃に象徴される当時の都全体の衰微の中で、人間以下のものに転落せざるを得なかった者の姿を、動物の比喩を積み重ねて描き出そうとしているのである。このあたりは状況と人物の形象は一つの方向に統一されていて間然とするところがない。下人の<にきび>もほほ同じ用法であるが、
右のほおにできた大きなにきび
短いひげの中に、赤くうみを持ったにきび
赤くほおにうみを持った大きなにきび
右の手をにきびから離して
というように多用されるにつれて、醜悪さの添加から心理の推移へと用法上も混乱して、上手の手から水が漏れるのである。技巧におぼれるときの芥川の犯す失敗である。
作者は人物設定の最初のところで
きょうの空模様も少なからず、この平安朝下人のSentimentalismeに影響した。
と書いている。つまり下人の心理は状況を映す鏡であるということだ。この空模様にさえも影響を受けるサンチマンタリスムを持った人物の心理の鏡に、善だの悪だのが映ったにしても、それは観念やモラルの劇の反映ではなく、状況の幻影にすぎぬということなのだ。作者が下人にかかるしかけを仕組んだとすれば、この作品の中に、人間の心理だの、エゴイズムだの、善悪だのを読みとる、すべて『羅生門』を「人間論」として捉える読みは、作者の心理分析だの、モラリッシュな告白やらのあざやかさに惑わされて、このしかけを見落とした読みではなかろうか。
それでは、このような「状況論」的視点で作品の具体的な展開に即して読んでみよう。老婆の正体が明らかになるに従って、下人の心理は<恐怖>から<老婆に対する激しい憎悪>に、さらに<あらゆる悪に対する反感>へと推移していく。しかし、<悪を憎む心>といっても、<合理的には、それを善悪いずれに片付けてよいか知らなかった>というような極めて情緒的なものなのである。結局のところ、その情緒は、
この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くということが、それだけで既に許すべからざる悪であった。
というように、状況の異常さに由来していて決してモラルに基づくものではないのである。それゆえ、下人が大刀の鞘を払って老婆を屈服させたとき、征服者の優越感の中で憎悪の心は冷めてしまうのである。<悪を憎む心>とはそんなはかない心理の揺れにすぎなかった。下人に死人の髪の毛を抜く理由を問いつめられて、老婆は
この髪の毛を抜いてな、鬘(かつら)にしようと思うたのじゃあ。
と答える。この答えを聞いて、下人はその<平凡さ>にいたく失望する。
失望すると同時に、また前の憎悪が、ひややかな侮蔑といっしょに、心の中へ入ってきた。
と書くとき、下人のどこにもモラリストの風貌はなく、あからさまに審美家としてたち現われてくるのである。下人の仮面の下から作者の素顔が透けて見える個所である。審美家にとって<この雨の夜に><この羅生門の上で><死人の髪の毛を抜く>ことが、<鬘>にするなんて<平凡>な行為であってはならないのである。求められているのは<頭身の毛も太る>ほどの醜怪な戦慄でなければならない。老婆はその平凡さ故に罰せられなければならない。下人の冷ややかな気配を察して老婆は弁明する。老婆がいま髪の毛を抜いている女は、生前蛇を干し魚と偽って行商していた女である。
わしは、この女のしたことが悪いとは思うていぬ。せねば、飢え死にをするのじゃて、しかたがなくしたことであろ。されば、今また、わしのしていたことも悪いこととは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、飢え死にをするじゃて、しかたがなくすることじゃわいの。
影響を受けやすいサンチマンタルな心を持った男は、この老婆の論理のわなに見事にはめられて
では、おれが引剥(ひはぎ)をしようと恨むまいな。おれもそうしなければ、飢え死にをする体なのだ。
と言いざま、老婆の着物を剥ぎ取ってしまう。このエゴイズムの論理と派手な心理の逆転劇ほど、読者の目を欺くものはない。読者はこのひきの声で語られる老婆の論理のあまりの明快さに足をすくわれて、エゴイズムを追求した作品などと読んでしまう。しかし作品の構図から言えば、老婆の論理は彼女の着物を剥ぐためのしかけなのだ。老婆は平凡さの罰として、裸体にされていっそう醜悪な姿をさらさねばならない。『今昔物語』では、<死人ノ着タル衣ト嫗ノ着タル衣ト抜取リテアル髪>を奪っているのに、芥川の下人は老婆の着物だけを奪い取っているのを見てもそれは明らかである。剥ぎ取った着物を抱えて下人が夜の底へ走り去って後、
しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起こしたのは、それからまもなくのことである。老婆は、つぶやくような、うめくような声をたてながら、まだ燃えている火の光を頼りに、梯の口まではって行った。そうして、そこから、短い白髪を逆さまにして、門の下を覗き込んだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
散乱する死骸から身を起こした醜い裸の老婆の逆づりになった白髪頭をてこにして、闇の底から黒々と異醜に隈取られて立ち現われてくる羅生門の、その醜悪な美、醜悪な状況美の創出にこの作品はかかっていたのである。醜のはてに美があらわれる反転力に、芥川の文学的営為はかけられていたのである。作者は、その創作当時をふり返っていう。
自分は半年ばかり前から悪くこだわっていた恋愛問題の影響で、独りになると急に気が沈んだから、その反対に、なるべく愉快な小説が書きたかった。(別稿『あの頃の自分の事』大8)
とは、この作品のモチーフが奈辺にあるかを語っている。作者は『今昔物語』という<昔>の<残酷>な素材を用いて、自分の落ちこんでいる青春の屈託を晴らすような<残酷>な美を創造しようとしているのである。<飢え死>か<盗人>かという一種の極限状況に投げ込まれた下人の、その生き方になど作者の視線は注がれてはいないのである。状況に弄ばれる下人の心理を<六分の恐怖と四分の好奇心>などと分析して楽しんでいる得意で愉快な作者の心が伝ってくるばかりである。作者の視線はひたすら状況、羅生門に注がれており、下人も老婆もそれに醜悪な花を添える飾りのごときものであり、羅生門がどれだけ見事な<悪の華>を咲かせるかにかかっていたのである。下人も老婆も冒頭のあの<きりぎりす>同様、状況を輝かすしかけの一つであり、<黒洞々たる夜>という、この作品のキーワードともいえる卓抜な秀句が作り出した暗夜の深淵で、<羅生門>は一瞬の光輝に包まれて醜悪な美に輝くのである。この人間の彼方の闇を描いたとき、芥川の文学は一つの可能性の前に立っていたのである。片々たる人間の苦悩など一状況美を構成する一要素にすぎないというアンチ・ヒューマニズムの視線が非情な暗夜の美を発見したとき、<娑婆苦>というような階級的コンプレックスを無化する視力まであと一歩ではなかったろうか。しかし、芥川はあと一歩の意味がわからなかったゆえに、自ら創り出した暗夜の中に消えていくのである。
どの作家にとっても処女作がそうであるように、『羅生門』もまた芥川文学の未来を予告する象徴的な作品なのである。この作品で芥川が創り出した闇の暗さから彼の文学はついに逃れることができないのである。芥川の世界はどうしようもなく暗い。彼はその暗い夜空に、例えば『地獄変』(大7)の檳榔毛(びろうげ)の車の凄惨な炎を噴き上げたり、『舞踏会』(大9)の華麗な花火を打ち上げたりするのだが、暗夜の底の真実の闇を照らし出すことはできなかった。闇は次第に濃度を増し、彼の芸術的構えすら無化し、やがて彼自身をも呑み込んでしまうのである。そのような彼の文学的生涯の入口で、『羅生門』は凛乎とした形象力に張られた暗夜の美を造り出していたのである。しかし、一方では、作者自身その状況美という自分の創り出した美の独創性に気づかず、その一歩向こうに広がる人間の真の闇という文学の新しい領域へは踏み出せず、結末の一行は幾度かの改作の後、
下人の行方は誰も知らない。
という「人間論」へ逆戻りの蛇足の一行で締めくくることになるのである。『羅生門』がはらんでいた小説の独創は、ついに小説の方法として自覚されることなく消えていくのである。
芥川龍之介(明25―昭2)
生後まもなく母が発狂し、母の生家芥川家の養子となる。この東京の下町、本所深川の中流下層家庭での生育史が彼の文学に深い影を落としている。自己の暗い心情の闇を芸術化せんとして、東西の古典に広く素材を求めて、磨き抜いた技巧美の作品世界を作り出した。
初出 | 『おにふ』第2号 | 1981年4月 |
再出 | 『国語通信』No.237(筑摩書房) | 1981年6月 |
単行本 | 『作家 その原風景 短篇小説さすらい抄』 | 1985年3月 |
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