狐の化生 石牟礼道子『椿の海の記』
石牟礼道子の心の空洞には一匹の古狐が住んでいるという。『草のことづて』(昭52)の中のその小文を読んで以来、私はこの詩人の心に狐を住まわせるという不思議なありようを忘れることができなくなった。それはなんとも魅力的な存在の様式で、いつかこの詩人の希有な存在構造を解明したいと思い続けてきた。彼女の作品を読んでゆくうちに、その不思議を解くかぎは『椿の海の記』(昭51)にあるらしいと見当がついた。『椿の海の記』は驚くべき精緻さで復元された幼時体験の細密画である。ものごころつくという人生最初の劇をこれほど克明に描いた作品を私は知らない。それはまた、私たちの失ってしまった魂の原郷のありどころを実にくっきりと指し示してもいるのである。
<わたし>(みちこ)を狐の世界に導くのは祖父<松太郎>の二人の妻、正妻<おもかさま>と権妻(ごんさい=めかけ)の<おきやさま>である。祖父は自分の浮気がもとで正気の人でなくなったおもかさまを彼女(みちこ)たちの所に残し、おきやさまと湯の児(ゆのご)に住んでいる。祖父の工事道楽のために没落した彼女の一家は落魄したものたちが流れつく<とんとん村>に住みついている。とんとん村からは湯の児はいわば地の果てである。
<ここば、ずっとゆけばどこさゆくと>
<そこからまたゆけば>
<いちばん先はどこ>
それから、それからといい出したが最後、夜中でも明け方でも、どこへ向かって歩き出すのかわからぬ魂のおかしな娘が、<ゆこい、湯の児に>といいはじめると、もうどうにもならないのである。
そのときわたしが漠然と感じていて、行ってみたかったのは湯の児ではなくて、いちばん先の方、つまり毎日毎日一生かかってずっと海の岸に沿い、どこまでもどこまでもゆけば海のつきるところ、山のつきるところ、つまり地の涯までゆかれるにちがいない。
幼い魂をつき動かす無限志向は、いつも彼女をこの世ならぬ遠方へと駆りたててやまないのである。それにしてもこの無限志向はどこから来たのか。それは多分祖父松太郎から受け継いだ資質のように思われる。松太郎は<つかみどころのない創作欲>のごときものに一生憑かれていた<石の神様>といわれた石工で、生涯夢を追い続けたロマンチストの<夢助>であった。そのために全財産を蕩尽してはばからなかった。そして、この無限への衝動を天成の資質として持った幼女が数に出合うとどうなるのか。
数というものは無限にあって、ごはんを食べる間も、寝ている間もどんどんふえて、喧嘩が済んでも、雨が降っても雪が降っても、祭がなくなっても、じぶんが死んでも、ずっとおしまいになるということはないのではあるまいか。
という強迫観念に捉えられる。一生泥酔してこの世を見ていた父<亀太郎>は彼女に人間のありようを教え続けた教育者でもあった。亀太郎は彼女の無限に漂う魂を現実につなぎ止めようとする。
かんじょうしきれぬうちにくたぶれて、死んでしまうけれ、それでおしまいだ。
こうして彼女の幼い魂の苛酷な数のドラマは人間は死という有限によって救われる他ないという認識に到達することで終焉する。
しかし無限志向という一種の無間地獄に落ち込んだ幼い魂に救済は訪れず、次に諸関係の不思議という世界をさまようことになるのである。亀太郎は<人間死ねばおしまい>というけれども、彼女は死後の生まれ替りの世界の中に自分の本来を求めてさまようことになるのである。
かくて湯の児は無限のミニチュアとして彼女を招くのである。おきやさまはそのはるかさで彼女を惹きつけるのである。おきやさまは彼女を心から歓待し、
みっちゃんばおひとり、お客さまになってもろうて、語りましょうばい。
といって、四歳の彼女に葛の葉の浄瑠璃を語ってきかせるのである。
恋しくば訪ねきてみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
葛の葉がその正体を見破られて、愛する夫と子に別れて人間世界を去らねばならないあわれな狐の物語を、四歳の幼女ひとりに向かって髪ふり乱して語って聞かせるおきやさまの孤独な心のたたずまいは鬼気迫るものがある。
おきやばんな、前(さき)の生(しょう)か、後の生じゃ、けだもんばい、畜生ばい、ありゃあ、おもかさまを、あのような目に遭わせ申して
と世の人の冷たい指弾をあびて、
もとよりその身は畜生の、くるしみふかき身の上を・・・
と語ると、女の業の深さとあわれさが一種凄惨の気を伴って迫ってくる。しかし、それを受け止める四歳の幼女の早すぎる人生開眼はいったいどこからきたのか。
ものをいいえぬ赤んぼの世界は、自分自身の形成がまだととのわぬゆえ、かえって世界というものの整わぬずっと前の、ほのぐらい生命界と吸引しあっているのかもしれなかった。
ものごころつくとは、そのような<根源の深い世界>から転落するということであり、転落した不幸の自覚のはじまりであり、またその不幸を生きている大人の辛さがわかることでもある。それゆえ、あやす大人があれば笑わねばならないという子供の勤めの自覚でもあるのだ。
なにかと辛い大人たちに、つとめと心得て、子供のふりをすればするほど、胸の中の悲哀は深くわだかまる。
このような屈折した意識の重なったある日、突然爆発するような激しい自己顕示の情熱の虜となる。彼女は<髪結いの沢元さん>に入りびたっていて<末広屋>の女郎衆に可愛がられていた。
淫売という言葉を吐くときの想い入れによって、自分を表白してしまう大人たちへの好ききらいを、わたしは心にきめだしていた。末広の妓たちを慕わしくおもっていたわたし自身が、大人たちへのひそかなリトマス試験紙そのものであった。
ある日、彼女は<異常に早く来て去ったわたしの女盛りともいうべき>花魁(おいらん)道中を演じてみせるのである。家族の留守をねらって、花魁をまねて髪を結い、着飾り化粧して、往還道を日傘をさし木履をはいてしゃなりしゃなりと歩くのである。自分の愛する女たちの不幸をまるで祝祭のごとく演じてみせたこの道中は彼女の自己表現の形を示していた。四歳の幼女の一生一代の熱演は自己の不幸を媒介として他者の不幸に同化することを主軸としながら、自己と他者の、女の不幸と至福がどろどろとないまぜになった迫力があり、そこには女だけが持つある妖しい力が現われていて、そういう形で一種の女性開眼に達した幼女は、おきやさまの女の業の悲しみがわかるのである。そしておきやさまの語る葛の葉のあわれは、彼女が狐に化生(けしょう)する一本道へと続いていたのである。
わたしはなんとか白狐になって、それから人間の女性(にょしょう)というものに化身したくてならなかった。
単に狐に化生するだけではなく、それからさらに人間に化身するという、狐を通路にして人間に再帰する往復運動の中に石牟礼道子の化生の特異性がある。そこで彼女の想像力は世の常の化身の論理を超えるのである。狐を通路にして帰ってくる人間はもちろん元の自分ではない。このような転身の自在さこそ石牟礼道子の基本的な存在構造である。
狐に転生するきっかけを与えたのはおきやさまであるが、彼女の転生力を育てたのは祖母おもかさまである。彼女の属している下層社会の人々は、狂者を精神病患者とか異常者とか冷たくいわずに、哀憐の情をこめて敬称をつけ<神経殿>と呼んでいた。<神経殿の孫女>といわれていたので、いずれ自分もおもかさまのようになると思いこんでいた彼女は、自分の最深部でこの祖母につながっていた。それはまた伝承の世界の祖母から孫娘へという継承の型をふんでもいたのである。この作品では母は稀簿な存在でしかない。おもかさまが見えぬ目でどう歩いて行くのかはだしで往還道を漂浪(され)きはじめると、夜中でも雨降りでも雪降りでも、必ず走って行くのは彼女の役目でいつも影のごとく寄り添っていたのである。おもかさまは彼女以外の者は寄せつけなかったのである。天地の間にゆくところもなくさまようおもかさまとともに、彼女の魂もまたこの世の裂け目をふみはずしてさまようのである。この盲目の狂女に寄せられる温かさも投げつけられる石のつぶても冷たいしうちも彼女はそのすべてを受け止めつつ人間世界を知っていくのである。人間世界の底まで見える視力を彼女は獲得していくのである。人はこの盲目の狂女の前で自分の心の裸をさらすからである。
祖父の訪れない日のおもかさまの精神はおおむね平穏で、そんな日にはおもかさまは彼女に語って聞かせる。
山に成るものは山のあのひとたちのもんじゃけんもらいにいたても、欲々とこさぎ取ってしもうてはならん。カラス女(じょ)の、兎女の、狐女のちゅうひとたちのもんじゃるけん、ひかえてもろうて来。
それは人間と動物が対等な人格で共生しあっている世界である。このすべての生類のむつびあう世界の中で彼女は育つのである。おもかさまの属している世界は、神々やその眷属(けんぞく)やカゴという妖怪や、あるいは兎女や狐女の住む、神話や民話に彩られた古い伝承の世界である。やがてこの地に水俣病という近代の毒をふりまく新日本窒素株式会社ははるか地平にその姿を見せはじめてはいるが、彼女にはまだ無縁の別世界のごとくであった。彼女を取り巻いていたのは前近代の、村老たちがそれぞれに愛すべき多彩な神々との出合いの体験を物語る牧歌的な世界なのである。おもかさまはその過剰なやさしさゆえにそこからさえ踏みはずした人なのである。それは語る人間よりも語られる神々に近い存在なのである。彼女もまたあの失われた<根源の深い世界>への回帰を希求するゆえに、語られる兎女や狐女に近い存在なのである。それゆえ、
いっそ目の前に来たものたちの内部に這入って、なり替ってみる方がしっくりした。いのちが通うということは、相手が草木や魚やけものならばいつでもありうるのだった。
かくて彼女は自在になり替り、なり替りの秘法を天成の名手のように身につけてしまうのである。この希有な想像力によって、水俣病患者になり替って書いたのが『苦海浄土』(昭44)であり、あの書は如何なる意味でも聞き書きや記録ではないのである。ともあれ、四歳の幼女は狐に化生する。
狐の姿をあらわしかけて、ちょこちょこと爪立ち歩いてゆくきわの、あわれでならぬ葛の葉は、おきやさまであり、おもかさまである。
おもかさまの民語的世界に身をひたしながら、おきやさまの浄瑠璃という文化的世界を媒介にして、彼女の狐への変身は完了するのである。こうして正妻と権妻の、狂気と正気の、民話と文化の交錯する地点で彼女は異類に転生するのである。その狐の眼によって、この世の正相と異相が同時に見えはじめる。石牟礼道子の諸作品にあらわれるあの世からこの世を見返るような不思議な視線はこうして形成されたのである。
諸関係の不思議の中を彷徨する魂にとって最大の不思議は自己の存在である。彼女は自分はどこがら来たのか、どこへ行くのかと問う。それらを
五官のすべてを総動員して、わたしは知りたがり、ほとんどやつれてくらしていた。草とか水とか、麦とか雪とかになり替ってみることは、むしろ安息でもあったのだ。
自己の実相と虚相の裂け目の無間地獄に落ちて、自己の根源の深い世界を求めてさまよう魂にとって安息とは何だろう。なり替りとは根源に届き得ぬ魂の擬似安息であり、一種自己否定を通して死へ通底する回路でもあったのだ。梅雨の長雨の終りの出水の日、遠くで半鐘が鳴っていた。彼女は水に誘われるように母の呼ぶ声に背を向け、かなたの天と自分の中から低く呼ぶ声に従って水に向かって走る。
現世へはもう帰りたくなかった。わたしは泣きじゃくりながら、ひとりぼっちだった。音を立てて移動し出した渦の中に、ふいっと躰を投げいれて流れに乗った。広大な、曇った天のかなたをそのとき見た。
こうして四歳の少女は自らの人生の幕を引こうとする。そのとき彼女は<天のかなた>に何を見たのであろうか。
神話の世界から失墜した神が民話の世界では異形の者と化すように、根源の世界、生命界のみなもとから転落した石牟礼道子は詩人ならざるを得ない。
人の言葉を幾重につないだところで、人間同志の言葉でしかないという最初の認識が来た。草木やけものたちにはおそらく通じない。
彼女は神々の言葉を失ったゆえに巫女にはなれない。しかし生類の言葉の中での人間の言葉の限界についての痛覚の上に誕生する詩人は異形の詩人たらざるを得ない。古代の言霊をあやつった巫女的詩人とはまた別の、草木やけものたちと共生し根源の世界への憧憬を響かせた新たな言霊的詩人が出現するのである。石牟礼道子の文学は古い古い神話と民話を生きる人々の語りを基盤として、生まれ替りなり替る化生という変幻自在の想像力によって生み出された文学世界である。『椿の海の記』では狐つきの幼女という古風でありふれた視点を意表をつく文学の新しい視座として構築してみせたのである。彼女は後年、高群逸枝に出合い、その狐の詩を読む。
広い野原に一匹の
狐が穴を掘りました
夕べとなれば縁(ふち)に出て
野を見渡して申します
というような近代人の心情の投影にすぎない狐の詩から彼女は何らかの影響を受けたとは思われない。彼女の文学の視座は、四歳のときに心の深部に住みついた葛の葉の人間の時空を超えた痛苦によってすでに貫かれていたのである。
石牟礼道子(昭2―)
熊本天草の建設業の父の仕事先で出生、水俣で育つ。以後水俣に定住し、水俣病を生涯の課題として背負い続けている。幼時にめざめた人生の不思議をいつまでも生き続けて、その果てに文学の母胎と化す。庶民の心底に生きる原初の言葉で現代の病理を告発する。
初出 | 『貫生』第3号 | 1981年5月 |
単行本 | 『作家 その原風景 短篇小説さすらい抄』 | 1985年3月 |
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