物語の闇 中上健次『化粧』
中上健次の文学はその核に死んだ兄の物語を埋めている。その繰返し作品化した自己史を要約すると、中上には十二歳のとき、二十四歳で自死した兄がいる。中上はそれ以後ひたすらこの死んだ兄を生きることになる。彼が生れたとき、彼には父の異なる一人の兄と三人の姉がいて、実父は刑に服していた。実父は彼が三歳のとき出所したが、母は自分以外二人の女にも同時に妊娠させていたその男を許さなかった。戦後の混乱期、行商をしながら五人の子を育てていた母はやがて一人の男に出合い、父の異なる彼だけ連れて、同様に一人の息子を連れたその男と所帯を持った。兄は自分たちを棄てた母と彼を許さない、殺すといって、酒に酔い、刃物を持って繰り返し押しかけた後、自らくびれて死んだ。この特異な自己史を中上は執拗に作品化し、解読して行くに従って、その中から兄の物語化というテーマが浮かび上がってくる。
その処女作『佳人』(昭16)の主人公<わたし>は自らに歌を禁じて次のように言う。
僕はあの時のことを忘れない。怒りと狂気を妊んだ海のことも、二十六歳のにいやんの惨めな死屍のことも僕は忘れない。(『海』・昭42)
ぼくの体験の核になっている、ぼくや母によって打ち倒され滅び去った兄の像(『眠りの日々』・昭46)
兄の死んだ齢に自殺するかも知れないと思い、その齢が来るのを恐れていた。(『化粧』「楽土」・昭56)
というように兄の死こそ彼の原風景であり、彼は兄の物語を生きていたのである。中上はこの自己史の闇の解読に固執する。『海』以後彼はこのモチーフを追い続け、ついに短編連作『化粧』に至って、その厚い原体験の闇を物語の光で透視してみせたのである。それ以後の中上の力感に満ちた、ほとんど挫折を知らない文学的活力の源泉を探り当てたのである。
人はそれぞれ自分の物語を生きている。人は現実を生きているのではなく、現実に投影された自分の物語を生きているのである。それは浮かんでは消えるうたかたの物語なのだが、それら片々たる物語を生きる一人の人間の人生は、やはりあるテーマと筋を備えた一つの物語なのだ。しかし、それらの物語は時代の物語の枠の中にはめこまれた時代の物語の一つにすぎないのだ。うたかたの物語から本質的な物語を作り出す作者たちもまた時代の物語の枠を破って新しい物語を創造するのは極めて困難なのだ。中上はそのような物語の枠を破砕するために古い物語を持ってくる。古物語という物語の原型、最も類型化した物語を持ってきて、いわば中央突破を試みようとするのである。そのような古い物語によってはたして物語の枠は破壊されるだろうか。新しい物語は誕生するであろうか。『化粧』冒頭作「修験」(昭49)では日本最古の説話集『日本霊異記』の説話、一僧侶が修行のために熊野山中へ入り、麻の縄で足を縛り岩にぶら下って死に、肉が朽ち、骨が枯れて髑髏(ひとばしら)と化してもその中で読経する舌が生きていたという<奇異>な話を冒頭にすえる。その読経の声が蝉の声の中から聞こえはじめると熊野山中はたちまちにして霊異の気の満ちた物語の舞台と化すのである。そして兄の物語をその熊野山中をさまよう<修験者>の物語として語りはじめる。これが『化粧』の基本的方法である。「修験」の主人公<彼>は中上自身の巨躯を髣髴させる<大男>であるが<大男>とは単に体が大きいばかりではなく、<体力と生命力がありすぎる者>であり、<そこに坐っているだけで、なにやらきなくさく暴力のにおいがするもの>である。あの『霊異記』の僧も麻縄で足を縛って崖っぷちからぶら下がり、法華経を憶持するのは、そのあり余る<体力と生命力>を減じるためであった。こうして『霊異記』の僧は現代の<彼>の中に大男として蘇るのである。かくて中上は、古い物語を換骨奪胎して近代人の情念の物語を書いた芥川の方法とは全く別の、古い物語を魂呼ばいする巫女のごとく、その魂を作品の中に蘇らせるという新しい物語の方法を編み出したのである。大男である「修験」の彼は、そのあり余る体力と生命力のために、妻に暴力をふるい、家庭を破壊し、会社を辞めて故郷熊野へ帰り、その山中を修験者のように歩きまわっているのである。彼の妻への暴力は<おれは死にたい、おれを殺せえ>と呪文のように叫びながらふるわれるように、すでに自己否定の衝動をその根に持っていたが、このたびの熊野山中の彷徨も自己滅却の希求に根ざしていた。こうして山中を歩き疲れて、彼は<死んだ近親の者>なる兄が修験者の姿で読経しながら歩いてくるのを見るのである。熊野山中で人はよく死んだ近親の者の姿を見るという伝承に導かれて、兄は幻視の彼方から修験者の姿で再生してくるのである。こうして兄は熊野山中の修験者の物語の中で語られるのである。古物語の<奇異>の力が現代小説の中に復活するのである。
『化粧』第二話「欣求」(昭50)は説経節「小栗判官」「信徳丸」に基づいて書かれた死と再生の物語である。熊野本宮、湯の峯は<小栗>の蘇生する場所であり、<信徳>の再生が予告される場所である。この作品の場合も説経節は物語を活性化させる磁力源と化するだけで、その物語は採用されない。都会生活に敗れ、一から出直そうと故郷熊野へ帰った<彼>が、湯の峯へ<盲目の弱法師(よろぼうし)>といった男と付添の女を案内し、自分もまた湯の峯に一泊し、一夜の交渉を持つに至る。湯場で<浄土からのお湯でござります>と湯に浸っている弱法師と女に会った後、酒を飲んで寝入っていた彼は、裸の体をすり寄せてくる女の呪文によって目覚めるのである。<有難うござりました><ごしょうでござります><お救け下さりませ>と女は彼の体をまさぐるのである。『化粧』における女性はことごとく性的存在であり、性による献身によって男を再生させる巫女のごとき存在である。説経の小栗を蘇生させるのも、信徳を復活させるのも、ともに横山の姫、照手姫という許婚者たちの貞淑この上ない献身の力によるものであるが、中上はそれを性の力に置き換えている。性は再生への秘儀として捉えられており、女たちの愉悦の声はことごとく呪文となるのである。その呪文にこめられた不思議な力は語り言葉の復活である。それは書き言葉とは異質の力を持っていて、中上の物語を形造っている言葉の位相を示している。短編連作『化粧』に踵を接するように昭和五十二年から書きはじめられたドキュメント『紀州』の「伊勢」の章につぎのような言葉についての考察がある。
もし、私が「天皇」の言葉による統治を拒むなら、この書き記された厖大なコトノハの国の言葉ではなく、別の異貌の言葉を持ってこなければならない。あるいは書くこと、書かれる事を拒む語りの言葉か。書かれてある語りとはムジュンもはなはだしいが、賎民らの文化、芸能であった説経節や世阿弥の謡曲、能は、「天皇」の書き言葉による統治を離れた神話作用があると見てさしつかえない。
中上の文学の語り言葉のこのような位相は、それによって表わされる性の再生力の位相を示しているだろう。もう一つ引用する。
うちのおふくろも字が読めない。だから、ものすごく記憶力がいい。曽祖母の代の説経師がささらをすって、こういう歌を歌ったってずーっと教えてくれるんです。平凡社から出された『説経集』をみると、やっぱりそれがある。活字文化じゃなくて、口承文化みたいなものが残っているんですね。僕が小説家になったのは、それこそ賎民のその口承文化を母親から受けついだ、ひょっとするとそれじゃないかと思うんです。(「市民にひそむ差別心理」・昭52)
中上文学の語り、あるいは物語の根は文盲の庶民の口承に根ざしているのである。それこそ物語の最も正統的な母胎に育まれていたのである。それは明治以後の近代文学の失ったもので、中上の物語の出現は文学史上の一つの事件なのである。
次作「草木」(昭50)は兄の再生を主題としたこの作品集の核をなす作品であり、この物語の錘鉛がどこまで届いているのか、その水深を示している作品である。この作品の主人公<彼>もまた修験者のごとく熊野山中をさまよっているうちに一人の<男>に会う。男の左脚には矢がささり、片目が血膿でつぶれていた。矢傷の生々しさはいったいいつの時代の傷なのであろう。男は<敗れてしもうた>という。男は熊野山中に住む<イッポンタダラ>という片足のダイダラポッチの伝承を背負い、織田信長に敗れて熊野を敗走する雑賀孫一の物語を背負っている。男は熊野山中を流離するそれら敗れた貴種の物語の中から<死んだ近親の者>の姿で現れる。それは幻なのか。それとも東京に残してきた小鳥の方が幻なのか、現と幻、今と昔、東京と熊野が妖しく交錯する物語の世界が現出する。
彼は東京で小鳥を飼っていた。小鳥の世界にはしばしば<死穢や奇形、変異>がおこる。その一つは<盲目の十姉妹>であり、彼は<苦しむことなど智恵の備った人間だけで充分だ>と思い、その生きていることが苦しみだけのような十姉妹を殺そうとして鳥籠からつかみ出す。しかし、彼の手の中の十姉妹は<あまりに小さすぎた。盲いていることに、無頓着すぎた>ので殺し得なかった。<奇形>に生まれながら自らの奇形に気づかず、<敗れて>いながら自らの敗北に気づかぬ、そういう無自覚な奇形によって生命の傷ましい原形が取り出されていた。<死穢や奇形、変異>のもう一つの形、彼はあるとき過って鳥の卵を割ってしまった。
中で、赤い肉が、ひくひくと動いていた。思わず息を呑んだ。手のひらの中で、外気にさらされてもまだ小さいものの心臓の鼓動そのままに、ひく、ひくと動いていた。
こうして彼はむき出しの生命そのものに遭遇するのである。人間の見てはならぬ、生命の発生の秘密の部分、それは美しくも輝かしくもなかった。生命そのものは忌しく、むしろ死穢に似ていた。こうして中上は生命の未形成の混沌、生と死の交錯する場所に行きつくのだが、この作品集は死と再生の物語だとすれば、これこそがこの作品集を生む<母の腹の暗がり>、物語を形づくる未生の闇なのである。この闇の中で敗れた男の伝承と奇形の生命が出合い、物語が受胎されるのである。
<男>を抱えて熊野山中をさまよっていると<彼>は
左眼を潰され、左脚を損じたのは自分だ。……盲いて生まれたのはこのおれだ。まだ暗がりにいるところを、いきなり破られ、日にさらされてひくひくと動くのはこのおれだ。この肉だ。
と彼自身敗れた者たちの血族として、<死穢と奇形、変異>を引き受けるのである。彼はイッポンタダラであり、盲いた十姉妹であり、破れた卵の中の生命であり、小栗判官であり、雑賀孫一である。それら敗れた者たちの物語を重層して現われるのが修験者であり、この作品では<彼>であり、<男>である。それでは彼と男とはいかなる関係にあるのだろう。男はすでに死んだ近親の者なる兄であることが暗示されているのだが、兄の死後、
それからことあるごとに、姉たち、母たちは、魂呼ばいの巫女にでもなったように兄の名を口にした。母や姉たちは、まるで盲いた十姉妹のようなものだった。それ以降、兄と彼がシャム双生児にでもなったように彼をみるたびに、兄の名を呼んだ。
兄が死ねないのは母や姉たちが魂呼ばいの巫女のように兄の魂を呼び返す悲しみのためであり、彼が兄の物語を生きねばならないのもまた、この母系家族の語り部たちの物語のせいなのである。彼女たちの語る悲話には男の魂を透視する不思議な力が秘められている。その魂呼ばいの巫女の力によって、兄は死後の世界から呼び返されて、<男>の姿を借りて熊野山中をさまようのである。こうして女の物語る力に媒介されて、彼と兄は熊野山中で出合うのである。女たちの幻視の中で彼と兄は同一化されるのである。兄の物語のほんとうの語り手は女たちなのである。物語の語り手として女はやがて『千年の愉楽』(昭57)の<オリュウノオバ>として物語の前面におどり出るであろう。この作品集では女の語り部は作品の中にひっそりと隠れていて、近親の者に死なれた悲しみ、その<死穢>から物語る力を得るのである。こうして語る者と語られる者が交錯し重層する物語の世界がたち現われるのである。交錯するのは人間だけではない。
山全体が、敗れ、やられて、片眼、片足になり、それでも自死すらできぬ男の、声でいっぱいになる。彼の体まで、楽器のように鳴っている。
この物語の舞台である熊野の山々もまた人間たちと共鳴して交響楽のごとく響きわたるのである。熊野は地霊の「さきはふ国」である。
第四話「浮島」(昭50)第五話「穢土」(昭50)は性と暴力をテーマにしている。「浮島」は熊野新宮の浮島の森と呼ばれる沼に住む大蛇に魅入られた<おいの>の伝説をもとにして書かれている。これに材を取った上田秋成の『雨月物語』の「蛇性の婬」は蛇を女としているが、元の伝説は蛇は男である。中上の作品も蛇は男でなければならない。修験者とは自分の中に大蛇のごとき邪悪な力を持った大男で、その力を封じ込め、洗い清めようと努める者をいうのである。「浮島」において荒くれの木馬(きんま)引きという山林労働者を洗い清めるのは<おいの>の物語を背負った一人の女郎である。それでは彼はどうしてその女郎を殺すのであろうか。「穢土」は一人の男を殺した被慈利(ひじり)である<彼>がその妻の家に入り込み、長らく同棲した後その女も殺す物語である。
女を抱き、女に抱かれるたびごとに、自分が尊くなってくる気がした。自分が卑しい被慈利であるということを女は知りながら、子供を生む母親のように、彼を尊い聖人にさせる。
いつごろから彼が、女をそう思いはじめたのだろう。女は観音だ、そう思った。観音菩薩の化身だ。悪人の彼をこらしめに、夜毎夜毎、女に身をうつして、一頭の畜生同然の彼を「しょうにん様ぁ、たいし様ぁ」と呼ぶ。そう呼ばれるに、いたたまれなくなる。女にそう呼ばれる度に、彼は、自分が、どう転んだとしても被慈利だという声と、実のところ、被慈利とは仮の姿で、ほんとうは弘法大師や一遍上人と比べても遜色のない尊い聖人だという声があるのを知った。
女たちは神に仕える巫女のごとく性によって男に奉仕する。<ああ、救けて下さいい、お救い下さいまし、お教え下さいい>と女たちが夜の闇の中であげる性の愉悦の呻きはどうして祈りの呪文のごときものになるのだろう。女たちは脇腹に口をあけた大きな傷(欣求)を持っていたり、金で身を縛られた女郎(浮島)であったり、夫を殺された女房(穢土)であったりしたが、それぞれに<死穢や奇形、変異>を背負っていた。しかし、女たちはその背負っている死穢の力によって、男の死穢を洗い、再生の岸へ送り届けるのである。女たちの呪文の<浄土への道をお教え下さいましい>には自らの死への希求がこめられていた。そこで性は法悦=死による鎮魂と浄化の秘儀としてあらわれるのである。かくて、巫女=菩薩=女郎=母親と転位する女の位相はいずれも救済と再生を志向していたのである。中上の物語の女たちは性の救済者として現われるのである。
それでは男たちはどうして自らの救済者である女に暴力を加え、殺さなければならないのか。「修験」の彼は死んだ近親の者なる兄がそばにいて、じっと見つめている気がするとき、妻に暴力をふるい、誰彼なしに喧嘩をふっかけるのである。彼の暴力の根源は兄に発している。そのことを最もあらわに語るのは第八話「楽土」(昭51)である。それは三月三日の兄の死んだ日にお雛様に花が飾っていなかったことに起因する妻への暴力を描いている。
兄の死んだ歳に自殺するかもしれないと思い、その歳が来るのをおそれていた。二十四歳まではどうしても生きようと思った。それまでメチャクチャをやってやると覚悟していた。それが自分を殺そうとして殺せなかった兄への洗い浄め方だと思っていた。
暴力は死んだ兄への鎮魂から発している。それは不当なる死を死なねばならなかった兄の悔しさ、憤りを鎮める行為である。その暴力が<死にたい、殺してくれ>という呪文を伴っているように、自己破壊の衝動から発した他者の破壊である。死んだ兄を生きるとは他者を破壊せんとしてついに自己を破壊してしまった兄の、その殺意を生きることである。兄を追いつめ、死に至らしめたものへの<メチャクチャ>な反撃である。女たちはその殺意に発する暴力を性の力で浄化しようとするのだが、母に棄てられて死んだ兄の怨念は女への不信、女への復讐へと転位されていて、その暴力はついに女の浄化し得ぬものに根ざしていたのである。男たちは女の救済を拒み、自らの救済者を殺すことによって自分をさらなる地獄に突き落とすのである。ここに女に殺された兄の物語が女を棄てる父の物語へ転化する契機が潜んでいた。男たちはあくまで<修験者>の自力本願の原則をつらぬき、山林苦行による自己救済を試みる孤独者として生きるのである。しかし、自己救済は同時に自己破壊でもある。この修験者の他者破壊=自己破壊=自己救済という多義性こそ中上の物語のダイナミズムであり、ぼくらはその大男の修験者の背後からあの巨神スサノオが立ち現われる幻を見ないであろうか。
修験者の物語は熊野をおいては語れない。熊野とは隈野(くまの)であり、入り込み奥まったところ、暗冥の感じの伴う地の果てである。それはまたイザナミの神が葬られた地であり、スクナヒコナの命が常郷(とこよ)に渡った地であり、黄泉(よみ)の国とつながった根の国でもあり、いずれも死者の国を指し示している。根の国の主宰者はスサノオの命である。これらは『日本書紀』の一書の記述であり、中央の、都からみた熊野観である。やがて平安期の観音信仰によって観音の浄土補陀落(ふだらく)が熊野南岸に想定されるにおよんで、熊野は幽冥の西方浄土として信仰を集め、やがて山岳修行の聖地として修験道が成立するのである。中上の修験者はその修行によって超自然的な力を獲得したり、呪法によって加持祈祷したりする正統の修験者ではなく、被慈利と呼ばれる私度僧であり、自己滅却をめざす孤独者である。中上は熊野を<神武以来の敗れ続けてきた闇に沈んだ国>(『紀州』「終章」昭53)として捉える。それは敗れた者たちの伝承の地であり、敗者復活の巨大な再生装置を備えた物語の母胎である。自分の故郷をこのように物語の原基と化した作家がかつてあったろうか。かくて熊野の地霊を祖述する修験者の物語が誕生するのである。やがて中上は熊野から新宮の路地という被差別世界に物語の舞台を移すことになるのだが、熊野こそ中上文学の原郷である。
『化粧』は中上健次の物語の樹立を告げる作品集である。とくにその前半の「修験」「欣求」「草木」「浮島」「穢土」という昭和四十九年九月から五十年八月までの作品で、その独自の物語<小説という本来生きている者と死んだ者との鎮魂のための一形式>(『紀州』)が成就するのである。その小説は古い氏族の伝承を伝える古代の語り部たちの物語の精神を受けつぎ、中上一族の生者と死者の鎮魂を根本モチーフとする物語である。それは路地を舞台とする最初の本格的作品であり、芥川賞受賞作である『岬』(昭50)に先行していることを確認しておこう。『岬』から『枯木灘』(昭52)『地の果て至上の時』(昭58)と展開する父の物語は兄の物語の反措定であり、やがて兄の物語を克服して展開するのだが、兄の物語そのものも『千年の愉楽』へと変貌し、物語の成熟した力を見せる。そこでは路地のすべての者の母(産婆)にして巫女なる<オリュウノオバ>を語り部として再生した兄の六つの分身の物語が語られる。敗れた者は貴種として再生するという貴種流離譚の法則にのっとり、再生した兄は高貴にして汚れた血をうけつぐ中本一統の男として女たちに性の愉楽を与えて夭折する。賎と貴が逆転する貴種流離譚という物語の力と世界の中心に据った女の巨大な物語る力が加わって新しい物語が誕生するのである。しかし、それら父の物語も兄の物語も、中上の物語はことごとく『化粧』の中で構築された物語の原基を母胎として生み出されたものに他ならない。まことに『化粧』一巻は中上文学の始源の書である。
中上健次(昭21―平4)
和歌山県新宮市に生まれる。新宮高校時代は相撲で活躍した巨漢。卒業後上京、ジャズ、睡眠薬遊び、新左翼運動にかかわる。彼は故郷紀州につながるあらゆるものを文学の糧と化し、紀州から新宮の路地を舞台とする作品を書き続けている。
初出 | 『貫生』第9号 | 1983年12月 |
単行本 | 『作家 その原風景 短篇小説さすらい抄』 | 1985年3月 |
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