5、インド洋(写真はベトナムの古都フエの王宮)
 基隆(台湾)、ダナン(ベトナム)に寄港、シンガポールを出てマラッカ海峡を抜けるとインド洋に入る。波が高く船酔いが続出する。1月31日、波の彼方に島影が見える。モルジブ諸島である。水平線上わずかに線状のものが広がっているだけの平べったい島で、地球温暖化によって最初に水没することが懸念されている。私達がデッキで島を見ていると、突然船が止まり彼方から現れた小型船に何やら引き渡している。やがてそれは急性盲腸炎の患者がモルジブに運ばれるのだということが分かる。途中で船を停めるには莫大な費用がかかり、それだけで数10万円かかるという。この人はモルジブから日本に帰って手術を受け、後日空路追いかけてきて合流した。

 


6、モンバサ(ケニア)―2月6日 (写真は同行の乙田侃志さん撮影

 寄港地モンバサからツァボ国立公園に行く。モンバサの市街は初めて見るアフリカ大陸だ。中心街を抜けるとバラックの建物が目につく。それは1目みてやはりアフリカの貧しさを感じさせる風景である。モンバサから国立公園入口まで3時間かかる乾いた赤土のデコボコ道をバスは土ぼこりを巻き上げて走り、時に放牧をしている男性や頭に甕を乗せて運んでいる女性に会う。水を運んでいるらしい。
 ツァボ国立公園は4国よりも1回り大きいという。8人乗りのルーフの開くサファリバスで移動するのだが、行けども行けども疎らな林があるばかりで動物は見当たらない。みんな立ち上がりルーフから頭を出して8方に視線を放つ。時々遠くに動くものの気配が感じられる位のものである。ここは自然の只中であって、動物園やテレビの画像ではないということがしだいに分かり始める。テレビでは動物はいつもアップで、ライオンがシマウマを捕まえたりする。しかし自然の中では動物は自分の姿を誇示したりはしない。目を凝らすと木立の陰にインパラが集まっている。よく見ると水面に鼻先を出しているカバがいる。ゾウはサバンナの王者だから誰はばかることなく陽に身を晒しながらゆっくりと移動して行く。だがゾウにも密猟者という天敵がいて、その象牙が狙われている。その象牙のほとんどは日本に輸出されているということで肩身が狭い思いがする。キリンが間近の樹木の隙間に姿を現わす。青空が透けて見える小さな額縁に次から次へキリンが現れては消える。1体何頭いるのか。シマウマの目立つ模様は遠くからでもすぐ見つけられる。しかし私達は次から次へ動物を見たわけではない。広大な草原を見つづけているうちに、その視界をたまに動物がよぎって行ったに過ぎなかった。
 このツアーでは動物よりもむしろ鳥を多く見た。ハゲコウとかハゲワシとかカンムリツルとか、多種多様の鳥がいたが、分からぬものが多かった。道路にいてバスと競争する変な鳥がいた。バスが迫ってくると懸命に逃げ、あわや轢かれる寸前に飛び立ちまたバス道に舞い降りてバスと競争する。スリルを楽しんでいるとしか思われないが、1体何という鳥なのか。このバスにはK氏夫妻も乗っていて、Kさんは鳥に詳しくていろいろ教えてもらう。K氏はカメラが趣味で、帰国後北海道で写真展を開いたという知らせを受けた。私のカメラでは点景に過ぎない動物がくっきりと写っていたのではないか。
 その夜宿泊したホテルのロケーションは最高だった。ホテルはサバンナの中にあり、テラスから間近にゾウやインパラの群れが見える。夕方ホテルの庭の枯れ木にくくりつけた肉片を夜になると豹が食べに来た。木にくくりつけられているために豹は樹上の夕食を強いられる。ライトの届く薄暗がりで長い時間をかけて豹は肉を食べる。宿泊客に夜行性の動物を見せるサービスであるが、しなやかな4肢に緊張感を漂わせた優美な食事は見ごたえのあるショーであった。
 翌朝庭に出てみて広大なサバンナの眺望に目を見張った。このホテルは崖の上に建っていて、遠く地平線のかすむ辺りまで1面の大草原である。備え付けの望遠鏡で覗いてみると、かなり近いところに水飲み場があり、私が昨日見たすべての種類の動物が集まっていた。その数およそ40頭ばかりであろうか。他に人がいないのでしばらく望遠鏡を独占する。私はこういう光景を見にケニアに来たのだという満足感がこみ上げてくる。
 その日はキリマンジェロを見た。ツアボ国立公園はケニア南部にあり、遠くしかしくっきりと雪のキリマンジェロが見える。隣国タンザニアとの国境に聳えるアフリカの最高峰である。

7、チュレアル(マダガスカル)―2月11日 (写真は乙田志侃志さん撮影) 
 マダガスカルの最南部チュレアルに大型観光船が入港するのは初めてで、チュレアル市挙げての歓迎だという。ところが観光バスに乗り込んだ直後、バスは給油のためにガソリンスタンドに立ち寄って動かなくなってしまった。1台しかない給油機に車の長い列が出来たのである。日本のバスなら給油を済ませてから客を乗せるのに何という不手際なことかと思うのだが少しも急がない。この国は私にはカルチャーショックの連続だった。すべてが「ムーラムーラ」(ゆっくりゆっくり)だった。ツアーの途中、サバンナの中に小さな街があった。私たちはその街でトイレ休憩をした。トイレは男女で1つしかなかった。われわれのツアーの人たちが列を作って並んでいた。この国ではこんな大勢の人が1挙にトイレを使うなんて考えられないことなのだろう。私はあきらめて街を散策した。50メートルも歩くと途切れてしまう街の空き地で子供たちがラムネの玉を地面に掘った小さな穴に入れる遊びをしていた。私が子供の頃に遊んだのと同じ遊びだ。この小さな街に子供が溢れていた。その幾人かと1緒に写真を撮った。日本では見知らぬ子供と写真を撮るなんてことは考えられないことだ。この島は大陸と切り離されているため動植物の珍種が保存されている。人間もまた原形のままで保存されているかのようだ。途中これとは別の所に市が立っていた。衣類や食べ物や日常品を商って賑わっていたが、帰りにはただの広場になっていた。遠い昔にタイムスリップしたような気がした。
 マダガスカルではイサロ国立公園のツアーを選んだ。ここも荒野が国土を覆い、たまに見かける家は1間しかないのではと思われるほど小さかった。草原の彼方に現れるバオバブの木々はマダガスカル観光の目玉の1つである。幹はすっくと聳え立ち、先端に天に向かって手を広げたような枝を茂らせて、その姿のよさは比類がない。イサロではマダガスカルのグランドキャニオンと言われる岩山をトレッキングした。ガイドの小柄な青年は足がつって歩けなくなった女性を背負って長い山道を運んだ。私は彼の優しさと体力に賛嘆した。


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