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3、グラナダ(写真はアルハンブラ宮殿)

 アルハンブラ宮殿はコルドバを追われたアラビア人がスペイン最後の拠点として作り上げた王宮である。迷路のようにとどめなく広がっている宮殿をたどりながら、私はここに住んだイスラム王族の優雅な生活を思い描いてみた。王族たちは異国スペインに自分たちの文化の粋を尽くした地上の楽園を築いてその孤独を癒したのであろうか。私は王宮を見、離宮を見、庭園を見た。シェラ・ネバダ山脈から引いた豊富な水を使って砂漠の民が作り上げた地上のオアシスであった。ニューヨークの貿易センタービルのツインタワーはこの宮殿の監視塔のツインタワーをモデルにして作られたのだという。





4、セビリア(写真はセビリア大聖堂にある4人の王に担がれたコロンブスの棺)
 私はセビリアでフラメンコを見た。私は初めて本場のフラメンコを見てほとんど仰天していた。一座の中で最も若い男の踊りに私が抱いていたフラメンコの華やいだイメージが粉々に砕け散った。その男の踊りは手の先から足の先まで、全身を使った筋肉の躍動、信じ難い速度で振動するかと思うとぴたりと静止するリズム、男の体のあらゆる部分が生きて動いて静止する。私は男の体がこのように美しいのを見たことがない。奔放にして端正なエロティシズムが発散し、昇華する。私が見たのは人間の身体の表現力の極致である。鋭く鋭角に切り込む筋肉。足の震え、腰の顫動。その踊りは女の踊り手を圧倒し、他の男の踊りを寄せ付けない。彼が登場すると舞台は一変する。生身の身体の躍動、バレーのような洗練されたものではない、もっと荒々しく野性の原始のリズムのうねりが舞台を支配する。
 踊り手の後ろに歌い手とギターが控えている。年配の禿げた歌い手がフラメンコ全体をリードする。彼の歌と手拍子。踊りを立ち上げ、盛り上げ、最高潮へと導く手練の手拍子。踊り手が全力を出し切って最後の力を振り絞って踊り切りまさに倒れんとする時、その目はしかと踊り手を支えるやさしさに満ち、静かな手拍子で労る。しばらく休息のリズムでダンサーを休ませる。それからおもむろに手拍子に力が加わり、少しずつ踊り手を立て直して、彼を踊りの中へ連れ戻す。その手拍子の絶妙な変転のリズムの鮮やかさ。歌は分からないので、私は手拍子ばかり聞いていた。心なしか若い男が躍る時は眼差しがやさしく、手拍子が繊細で、彼がこの若手にどれほど肩入れしているかが伝わってくるような気がした。ともかくこの若い男の生々しい身体表現に身震いが止まらないほどの衝撃を受けた。踊りにこんな直接的な反応をしたのは初めてのことだ。
 
本物のフラメンコダンサーには流浪の民ジプシーの血が流れているとはガイド氏の案内である。ジプシーの流浪はインドに発し、エジプトを経由してアンダルシア地方(セビリアもここに含まれる)の民謡と踊りを取り入れ、変形させて現在の様式に到ったのだという。スペインは様々な非ヨーロッパを内包している。

 ここではフラメンコだけが非ヨーロッパ的なのではない。スペイン最大、世界三番目のスケールを持つセビリア大聖堂(カテドラル)は回教のモスク跡に建てられている。中には四人の王に担がれたコロンブスの棺がある。死してなお中空に浮く華麗な墓である。カテドラルの鐘楼ヒラルダの塔は高々とセビリアの中心にそそり立っているが、もともとモスクのミナレット(尖塔)だったのである。この塔の繊細な美しさは見飽きない。スペインで見た塔はキリストであれ、イスラムであれ、すべて美しかった。地上の重力に逆らって天上に憧憬するものの崇高さがあった。

5、コルドバ(写真はコルドバのユダヤ人街の路地ミナレットが見える)
 コルドバはかつてイスラム文化の中心地として栄えた土地である。レコンキスタ(スペイン人の国土回復)後、ここにメスキータという巨大なモスクをカテドラルに改造した世にも不思議な寺院がある。拡張に拡張を重ねてついに二万五千人を収容した巨大モスクをスペイン人はカテドラルに改造したのだという。外観は規模壮大、城塞のように厳めしさを誇示し、内部はイスラム文化とキリスト教文化の入り組んだ実に奇妙奇天烈な建築様式である。その混在が混乱に到らず一種の調和美を示すところがまことにスペイン的とでも言う他ない。スペインは多文化が交流し混在するヨーロッパの異端の国であった。

 この寺院の傍に白壁の家が並ぶユダヤ人街がある。家にはパティオと呼ばれる中庭があり、私たちはある家の好意でパティオに入れてもらった。一本の木がすっくと立ち、窓には花が飾られ、バルコニーには蔦が茂り、砂利が幾何学模様に敷き詰められた簡潔な庭であった。ユダヤ人街は庭が広い分道が狭くなり、細い路地になっていた。行き交う時には肩が触れ合う狭さである。私は日本でも外国でも細い路地を好んで歩く。狭ければ狭いほどよい。この路地をほんとうに夢見心地で歩いた。路地からカテドラルのミナレット(モスクの尖塔)の瀟洒な姿が見えるポイントに来ると立ち止まってしまう。

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