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、ラ・マンチャ(写真はスペインの赤土の畑)
ナポレオンが「ピレネーを超すとアフリカである」と言ったそうだが、全くその通りである。バルセロナから出発して、スペイン南海岸を西進するバスツアーで見たスペインは見渡す限り荒涼たる風景で、ヨーロッパではなかった。私はガウディやダリやピカソやミロを育てたのはこのスペインの荒涼たる大地ではないかという気がした。彼等はこの道を通りヨーロッパを超えてもっと向こうへ行ったのではないか。風土はコルドバから北に進路を変えても同じだった。ラ・マンチャに近づく頃、私達のバスの前を豚を積んだトラックが走っていた。私がその豚を撮ろうとしてカメラを構えていると添乗員譲が振り返って、
「誰ですか、スペインまで来て豚の写真を撮っている人は?松本さんですね。」
と言われてしまった。荒涼たる赤土の平原を走る豚を積んだトラックはまことにスペイン的風景であると思ったが。
 やがてバスはラ・マンチャ地方の風車の丘に到着する。ドン・キホーテが「回転する巨大な腕を持つ不埒な巨人」と間違えて突進したという数基の風車が丘の上に建っている。丘にはかつて風車を廻した烈風が吹きすさび、立っているのも困難である。この風に吹かれながら丘から周辺の村を眺めていると、この地方はセルバンテスの時代そのままの風景であるに違いないと思われてくる。

7、古都トレド(写真はトレド全景)

ホタ川の岸辺の丘の上から見たトレドの街の眺望に魅了された。どの旅にもその旅の至福の場所というものがある。見るもの聞くものすべてが気に入るのである。私にはトレドがそういう場所であった。眺望を裏切らない町並み、石畳に城塞にカテドラル、その秘宝の数々。ここにサント・トメ教会という小さな教会があり、グレコの「オルガス伯の埋葬」という絵がある。美術館ではなく、小さな教会にその絵があったが、一目見ただけで魂が引きつけられ、心眼が見開らかれるという感動に襲われる。それは肖像画の群像画という恐るべき絵である。「オルガス伯の埋葬」に立ち会う人々の憂愁に満ちた人物像が群像として現れるのである。その一人ひとりが優に一作品として通用する肖像画が群像画として描かれている。地上の群像の上に天上の群像が現れ、頂点にキリストが底部にオルガス伯の遺骸が置かれている雄大な画面から魂に沁み込むような悲しみがひたひたと迫ってくる。今度の旅行で一枚の絵を選ぶならば、この絵以外にない。いや私が今までに出会った生涯最高の絵であった。グレコは後半生トレドに住み続けたが、クレタ島出身のギリシャ人で、エル・グレコは「あのギリシャ人」という意味だという。
 
8、旅の終りに(写真はイタリア名物料理パエリア)
 ツアーにはガイドとしてその地に住みついた日本人が乗り込んでくる。彼らは日本を捨てて異国に住むそれぞれの事情を抱えている。その身の上話を物語として語る術を獲得した人に時々出会う。観光よりも彼らの物語の方がずっとおもしろいことがある。マドリッドで添乗したガイドは日本を批判し、スペインを賛美し、闘牛にうつつを抜かす己自身をほとんど自己陶酔しながら語った。コスモポリタンの爽やかな物語に聞き入る。
 最後の夜は首都マドリッドのホテルに宿泊した。七泊八日の旅を終えて、朝部屋を出ようとすると、窓にカササギがやってきた。体はカラスよりもやや小さく白と黒の気品のある鳥である。
  鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更    けにける
と百人一首の名高い鳥である。これは韓国の国鳥で、韓国旅行で幾度も見かけた懐かしい鳥だ。鳥の訪れがこの旅を祝福してくれているように思えてくる。バスに乗り込んで窓から見るとカササギはまたホテルの玄関に来てまるで見送るがごとくである。私はその頃バードウォッチングを始めたばかりで、座席の近い人にこの鳥について説明する気持ちを押し止めることができない。私は幸福の青い鳥に出会ったほどにも昂ぶっていた。
 マドリッド空港に着くと、その年のテニス世界選手権者マイヤーがいるという。テニスに詳しい人がいて見つけたのである。ツアーの若い女性たちが彼に近づき、記念写真を撮って貰っている。
「私たちも撮って貰おうよ」
と妻が誘うのでたちまち私は燃え上がって、記念撮影が一段落つくのを待ちかねてマイヤーに近づいた。彼は快く承諾してくれる。写真を撮り終わったギャルたちからキャーというどよめきが上がる。ツアー一行の内、男で写真を撮ったのは私だけである。撮影を終えた私はギャルに囲まれて身上調査風な質問を受けた。マイヤーのオーラが乗り移ったかのようにニコニコと応対していた。
 今度の旅行ほど愛想よく振舞ったことはない。私は同行の人たちと満遍なく食事の席を共にし、会話の機会を多くするよう心がけた。気がつくと、普段聞き役の多い私が一転してしゃべり役を演じたりしていた。あまりしゃべったがためにほとんど手をつけていない皿が持って行かれたことも幾度かあった。勢い余って私は自分が英語をしゃべれないことを忘れて、マドリッドからニースへの飛行機のなかで隣のスペイン人女性に話しかけた。この人はスペインからフランスに出かけて英語を教えているという。たったそれだけの聞き取りに四苦八苦した私は、スペインのどこを見たのかと聞かれたのを幸い単語を並べ立てた。
「バルセロナ、バレンシア、アリカンテ、グラナダ、ミハス、ロンダ、セビリア、コルドバ、トレド&マドリッド」
と言うと、
「Oh you were so busy」
「Ride and walk, ride and walk!」
と私たちのハードなスケジュールに驚いた。私たちはスペイン人から呆れられるようなけなげな健脚ツアーを敢行したのであった。
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