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          スペイン紀行

1、バルセロナ(写真は中央の建物がガウディのカサ・バトリョ)
 私の旅はいつも妻のスケジュールに従って出かけるだけで、旅への用意がない。今度のスペイン旅行もどこから始まって、どこへ行くかも知らなかった。飛行機が高度を下げると、眼下に区画整然とした大都市が現れた。私の頭の中のスペインはヨーロッパの辺境に過ぎなかった。私は思わず妻に問いかけた。
「スペインにこんな大都市があったのか?」
バルセロナだった。私はここで前衛建築家ガウディに出会うことになる。まず最初に見たガウディ初期の作品といわれるグエル公園は海や動物や植物の造形があふれていて、曲線の洪水が創り出す独創性に驚いたが、それは公園だからそんな自在な遊びができるのだと思っていた。ところが街中の住宅を見るに及んで居住まいを正した。その住宅カサ・バトリョは波形の屋根と動物の頭部のようなベランダと海底の岩を思わせる壁の色調が織り成す気品は隣接する他のモダニズムの建築家の建物と相俟って光芒を放っていたが、この街はその斬新な意匠を受け入れて一層輝きを増すがごときであった。とどめはガウディ畢生の大作、聖家族教会(サグラダ・ファミリア)だった。私は奇蹟を見る思いでサクラダ・ファミリアの高々と聳える四本の鐘楼を見上げた。その時の衝撃を私は一生忘れないであろう。塔のせいでその空の青さはバルセロナの空として記憶に残ることになる。四本の鐘楼は巨大な筍のように空に向かって林立していた。峨々として天を衝き、柔らかな手を延べて空を撫でる、剛直にして優雅な形姿でバルセロナの空に聳立していた。それはヨーロッパのゴチックの塔の典雅な直線とは全く別の生々しい曲線を描いて天空へ伸びていた。
 
私のその時の感動はダリの「燃えるキリン」を最初の見た時の衝撃に似ていた。そう言えばダリもピカソもミロもバルセロナが育てた芸術家ではないか。その後、スペインを旅しながら、どうしてスペインからヨーロッパの正統の美の規範に反逆する芸術家たちが育ったかを考え続けた。

バルセロナ(写真はバルセロナ大聖堂前のサルダーナ)
バルセロナでのツアーのショッピング の時間に店から出て旧市街を歩いてみた。店のすぐ傍にバルセロナ大聖堂(カテドラル)があり、その前の広場に地元の住民らしい群集が集まっていた。よく見ると人々は円陣を組み、何かの始まりを待ちうけている気配があった。やがて大聖堂前の階段に陣取った楽団の演奏が始まり、人々の輪が踊り始める。フォークダンス風な踊りである。バルセロナはカタロニア地方の古都であり、これはカタロニアに伝わるサルダーナという民族舞踊で、週末にここに集まってカタロニア人の団結を誇示するのだという。
 
踊りが終る頃、向こうの街角から巨大な人形の行列が姿を現す。ビルの二階の窓に届く高さで、男性は一体だけで、古風な服をまとい、手に鳥や花やカップを持っている。観光客が群れるでもなく、地元の人もさして関心も示さず、なんだかひっそりした人形行列であった。ショッピング店の前でそそくさと人形は解体されてどこへともなく消えて行った。私は人形の解体作業を見ていたが、人形の中は空洞で人が持ち上げて運んでいたのだ。いったい何の行事だったのだろう。後でガイドに聞いてみたが、彼はまったく知らなかった。人形の服装がなんとなく春めいていたので、私は勝手に「春節祭」という名前をつけておくことにした。帰国後NHKの「名曲鑑賞」を見ているとこの巨大人形の行列が現れた。 「聖家族教会」と「サルダーナ」の新旧両面を見られて、私のバルセロナは満点であった。

2、バレンシヤ (写真はバレンシヤの市場)
バレンシアは火祭が有名であるが、それは一周間前に終っていた。火祭の博物館を見たが、祭の抜け殻のごときものであった。私たちはここで世界遺産の絹の交易所「ラ・ロンハ」を観光する予定であったが、休館日で、向かいに立っている市場を見た。市場といっても堂々たる建物で、「ラ・ロンハ」に優に対抗する貫禄がある。考えてみれば「ラ・ロンハ」も市場のようなもので、市場という概念が私たちと異なっていて生活の祭典の場のようなものではないか。内部も広大で豪華絢爛、中でも果物屋の果物の色彩の鮮やかさには目を奪われた。果物は堆く積まれて、天井から奥の棚、店頭の前面へと立体的にディスプレイされてあらゆる果物がつややかに輝く様は圧巻だった。どれも量り売りで、裸の果物があふれ、壮大な色彩の洪水となって押し寄せてきた。スペイン人の生活の一面を見られて、世界遺産観光を補って余りある見物であった。私は梶井基次郎の『檸檬』に描かれた果物屋の美しさを思い出さずにはいられなかった。日本から失われた果物の輝きにスペインで再会したような懐かしい気分になっていた。ツアーの人たちはここで果物や水を買ったらしいが、私は果物屋や肉屋に見とれて買物をするのを忘れていて、バレンシアからグラナダまでの長い道中水不足に苦しむことになる。
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