23、自主企画(写真は自主企画「切り紙クイズ」)
船には「ピースボート」事務局が主催する企画と参加者が主催する自主企画がある。自主企画は1日20を超えていて何でもありの感があった。私が愛好した企画はH氏の船首デッキでの「星座案内」、Tさんのゲスト対談「オリビアの部屋」、O氏の「デジカメイロハ」とゲスト対談「旅キチ」などがある。勿論私が所属した「囲碁の会」も「社交ダンス」も自主企画である。
もう1つ私が深く関わったのにA氏の「切り紙クイズ」がある。A氏はこの企画の用意をして乗船したのだが、かなり高度な作業を伴うので果して人が集まるかという不安があったようだ。私は「切り紙クイズをやりましょうよ」と度々声をかけていたが、自主企画をするにはミーティングに出て、場所と時間を取らなくてはならないとか、いろいろ面倒があった。そこで新聞のタイムテーブルには出ないヤミ企画をすることになり、私も場所取りとか3加者の連絡係とかに協力した。囲碁会の会場にもなる最上階のキジバーにテーブルと椅子を確保して小さな集まりをした。2枚の折り紙でピタゴラスの定理を証明するなどの高度な内容であった。3回しかできなくて、A氏の用意した資料のほんの1部しか出せなかったが、実にユニークな企画であった。実はA氏はこの船1番の星マニアであり、徹夜で星を見ている人として知られていた。
数ある自主企画の中で最も人気の高かったのは「カジポン」ことK氏の主催する「芸術大爆発」であった。ビデオテープを段ボールにを何10箱も持ち込んでいて、それを毎日鑑賞解説するのだ。その解説が「オリビア号」で最も大きいミュージックホールを駆けまわる身振り手振りの激演で、彼の芸術に寄せる熱い思いが伝わってきた。絵画、映画、音楽、能狂言歌舞伎と芸術のあらゆるジャンルを網羅する1大スペクタクルであった。33歳独身、世界の有名人の墓参りが趣味だという。
もう1人紹介しておきたいのが「万国ビックリショー」という企画のゲストに白鳥のコスチュームで現れたT氏。中年の身体障害者で「オリビア号」ただ1人の車椅子参加者の、あのパーフォマンスはすごかった。会場にどよめきを呼んだ。この人は朝食昼食のバイキング料理は介添えが必要で、多くの人と交流したいからと、ボランティア募集の記事を新聞に出していた。その後多くの若者に囲まれてにぎやかに食事するT氏の姿をよく見かけた。K氏のピアノコンサートでもK氏の横でピアノを両手でたたいて力強い音を出していた。オリビアで1番元気に生きていた。
24、オリビア最後の日(写真はオリビア号の屋台まんだら屋)
下船前日、船ではさまざまなお別れ会があり、打上げがあった。
朝食後囲碁会の会場のキジバーに行ってみると、碁盤は返却されて1面しか残っていない。最後の1番を見るためにみんなが碁盤を取り囲む。最強の打ち手M氏はすぐ決まったが、何とその相手に私が選ばれたのである。晴れがましい対局だった。衆人環視の中、私の打つ手に力が入る。このクルーズの記念の1局であった。
午後ネプチューンバーで「社交ダンスの会」の打上げをする。総勢20人を超えるメンバーがO先生を取り囲んで話の花が咲いた。1人ひとり別れの挨拶をした。私は
「私はこのクルーズで何か新しいことをしたいと思って乗船したのですが、最後にダンスができて本当に満足です。これがこのクルーズの最大の収穫です。私にダンスができるなんて思ってもみない出来事で、帰国後も続けて行きたいと思っています」
というような挨拶をした。
夕食後、囲碁の会のお別れ会があり、社交ダンスの会の2次会があった。夜風に冷え込んでくる深夜まで、別れを惜しんだ。
25、東京・晴海―4月14日
4月14日東京晴海港に着いた。90日ぶりに汚い海を見た。神戸に向かう新幹線の車窓から見た日本の緑が目にしみた。「自然に恵まれた国よ」というのが90日ぶりに見る日本の印象であった。 (2001・1・16 ・松本邦夫記)