90日間地球一周の旅
                 

1、なぜ旅に出るのか。 
(写真はパタゴニア水道のオリビア号)
 ある日、妻が新聞広告を見ながら
「わぁ、90日間の地球1周クルーズが98万円だって、すごく安いねぇ、行こうよ」
といつものように私を旅に誘った。
 喜望峰を回りマジェラン海峡を抜けて、アフリカ、南アメリカ、太平洋を巡って帰るのだという。90日間で16の寄港地、どれもまだ行ったことがないところばかりである。ケニア、マダガスカル、リオデジャネイロ、ブエノスアイレス、イースター島、タヒチとどれも心躍る地名ではないか。 それよりも何よりも地球1周というロマンが私の心をゆすぶる。いつもぐずぐず行きしぶる私が珍しく即決した。後で妻が、
「今度は説得する楽しみがなかった」
と嘆いたほどの早業で地球1周の旅が決まった。
    

2、「ピースボート」
 「98万円地球1周の旅」というけれど、これは窓なし4人部屋の船賃だけであって、私の場合は夫婦での参加なので2人部屋、寄港地のオプショナルツアー、雑費それに小遣、お土産を加えると1人分の総額はその倍を超えた。それにしてもなんという安い地球1周クルーズであったことか。この旅を企画した「ピースボート」はよく「グリーンピース」と間違われる。あちらは環境保護活動をしている世界のNGOであり、こちらは国際交流の船を出す日本のNGOである。もう10数年前から世界に船を出しており、私達の乗るのは第27回「南回り地球1周クルーズ」である。参加者総数673人という。
 このクルーズは16の寄港地ごとに観光、交流、検証の3種類のオプションを用意している。私は観光主体のオプションを取った。「ピースボート」は太平洋諸島の日本軍の戦跡検証を目的に発足し、若者の国際交流を目指す船であるが、近年シルバー(60歳以上)の参加者が増え、この第27回ではその比率は3分の1を超えていた。私自身の交遊圏がシルバーであるせいもあって、シルバーが半数を超えていたと思い込んでいるほどその人達の元気さが目立った。意外 だったのは単身乗船者が大多数で、夫婦は1割程度であったことだ。

3、デジカメ
 出航前に「ピースボート」から送られてきた資料「パソコン教室」の中に「デジカメ初級講座」があった。隣人のD氏(以後男性は氏、女性はさんと表記する)が「デジカメはおもしろいですよ」と勧めてくれた。デジカメで写した画像をパソコンで編集するのでフィルムが不要であるという。早速D氏に選んでもらって持参加した。この人は私の生活全般のコンサルタントである。旅行の度に留守を頼んで行く。私が気楽に旅ができるのは全くこの人のお陰である。デジカメも1応の使い方を教えてもらっていたのだが、まだまだ自由に使いこなせなかった。船に乗るとデジカメの達人O氏が「デジカメ教室」をやってくれたのはありがたかった。私がこの旅行でこの新しい技術を習得できたのは全くO氏のお陰である。プリンターがないので打ち出すことはできなかったが、写した画像はすぐさまパソコンで開いて楽しんだ。

4、オリビア号(写真はある日の私の朝食)
 私は2000年1月16日「ピースボート」の「オリビア号」で90日間地球1周のクルーズに出航した。「ピースボート」はウクライナ船籍「オリビア号」(1万5千6百トン)を3年間借りきっている。建造後28年目のかなり古い船であるが、乗り心地は悪くなかった。私達のキャビンはほぼ10平米くらいの、折畳2段ベッド・テーブル2つ・椅子2脚・ロッカー・シャワートイレつきの狭い部屋であったが、実に快適であった。まるで我が家にいながら旅をしているかのようであった。
 毎朝新聞が発行され、その日の企画のタイムテーブルが出る。企画は船が主催する企画の他に乗船者が出す自主企画があり、これが他の観光船と「ピースボート」を分ける最大の相違点である。「ピースボート」は1芸を持つ乗船者の自主企画に溢れていて、退屈しらずの楽しい船であった。
 食事はモーニングティ、朝食、昼食、ティータイム、夕食、夜食の6食あるが、私は3食で10分であり、たまにティータイムに行ったくらいで、1度もモーニングティも夜食も取らなかった。船の食事は朝食、昼食はバイキング形式、夕食はセッティングのロシア料理であった。「ピースボート」のリピーター達は乗るごとに食事がよくなると異口同音にいう。コック長として日本人I氏がウクライナ人コックを指導してかなりの日本料理を作る。朝食には毎日、味噌汁、梅干、漬物、海苔、納豆が出るのがうれしい。昼食もソーメン、そば、湯豆腐、おでんと日本料理系のものが出ると逃さず取った。デザートが豊富で、果物の種類も多い。中でもスイカが大人気であった。夕食のロシア料理もずいぶんと日本人の口に合うように工夫さていてまずまずであった。節分とか雛祭りにはそれに相応しい懐石膳も出た。何よりもこれは気楽な船であった。時々フォーマルディナーもあったが、ネクタイは皆無に近く、替え上着程度の軽装でいいのが助かった。普段はTシャツにGパンで過した。
                                  
                                   

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