15、パタゴニア(写真はパタゴニア水道の氷山)
パタゴニア水道は観光船の入らない危険な海域だ。「ピースボート」も昨年初めて入って、参加者の多くが全クルーズ中のベストと評価の高かった所である。パタゴニア水道は延々と続く氷河に覆われた山脈が迫り、流氷や難所の多い細長い帯のような海であった。船はフィヨドルに入り、行く手を阻む大氷河の前で停泊した。そこから避難時に使うテンダーボートを下ろして氷山に接近するという世界の客船業界初の冒険をしようというのである。ただしテンダーボートは1隻だけ定員40名だという。この乗船権を巡って各種イベントで熾烈な戦いが繰り広げられた。600人中40人という競争に私は初めからあきらめていた。私はデッキで選ばれた40人の乗ったボートを見送った。ボートは遠い氷山の彼方に見え隠れしならがら漂っていた。その頃、「ピースボート」スタッフは希望者全員をテンダーボートに乗せるべく船長と協議していた。翌日それが本当に実現してしまうのである。何隻ものテンダーボートが氷山の海に浮かぶ様は前代未聞の壮観というべきか。かくて私は手を伸ばせば届く近さで氷山を見た。今年のパタゴニアは例年になく気温が高く、氷の状態が良くないという。氷山は思ったより小ぶりであったが、それでもテンダーボートの何倍もあり、屋根のように空に聳えていたり、尖った突起を4方に張り巡らせたり、大きな窪みを抱え込んだりとさまざまな形で海に浮かんでいた。この何万年も前の氷でオンザロックを作ろうとして氷山に手をかけて海に落ちたクルーもいた。船全体が燃え上がった得がたい「氷山体験」だった。この旅のハイライトであった。
16、社交ダンスの会(写真はダンス練習風景)
3月14日の新聞のタイムテーブルを見ると、「社交ダンスへの道(初心者になるためのキソのキソ)」と出ているではないか。社交ダンスも私の新しい遊びの候補の中に入っていたのだが、これはどうしてか怯むところがあり、こわごわ覗いて見た頃にはもう基礎は過ぎて、私の手の届くレベルを超えていた。もうこのクルーズでは新しい遊びは駄目かとあきらめかけていた時、まるで私のために作られたのではないかと思う企画が現れたのである。ラストチャンスとばかり船底のミラーバーへ行く。テーブルと椅子を片付けて小さなホールを作り、Oさんを指導者とする初級ダンス教室が始まる。自主企画「合気道」ですでに体が堅くて落ちこぼれていた私はここでも覚えがわるくてみんなについて行けない。ともすれば後ずさりして人陰
に隠れようとするのをO先生が
「あなた前に来なさい」
と引張りだしてくれる。O先生79歳の華奢な体のどこにこんなパワーが潜んでいるのかと思われるほどエネルギッシュに指導してくれる。本当に基礎の基礎から基本のステップを繰り返し教えてくれる。その後1人ひとり順番に踊ってくれて個人的にチェックしてくれる。他の人の時もよく見ていて、その人の横で自分も体も動かしてみる。こうして繰り返しステップを学習していく。
マンボから始まりブルース、ワルツ、チャチャチャと進んでいく。ともかくみんなスイスイと進んでいく。私だけがいつもウロウロと覚えがわるい。いつも落ちこぼれボーダーライン上であやしい舞いを舞っていた。みんな私より上手で、気楽に教えてくれたり、踊ってくれたりして私を引き上げてくれる。この会は体を動かすのが楽しく、新しいことを学ぶのが楽しく、みんなに会うのが楽しく、私は1日も欠かさず出席した。もっとも1日でも休むと分からなくなるスピードでレッスンは進んだ。
先生は教えたいのにともかく時間が足りない。初めは17時から18時までの1時間だったものが、16時から18時の2時間になり、最後はそれに6時から8時までの朝練が加わり、旅の最後の時期はほとんどダンスに明け暮れたといってもよい。新しいことを学ぶ喜びに体がしだいに活性化したのか、朝起きがどうしてもできなかった人間が朝練に出かけて皆勤なのだ。囲碁の会と重なる人も多く、囲碁初心者のK氏やSさんには私が囲碁を教え、ダンスを教えてもらった。M氏にはダンスも囲碁も教えてもらった。このダンスの会で親しくならなかったら、囲碁会では雲上の人M氏にあんなに打ってはもらえなかったろう。
17、イースター島―3月19日(写真はアフ・トンガリキのモアイ像)
イースター島は絶海の孤島という感じで太平洋に浮かんでいる小さな島である。大型観光船が着岸する港がないので、「オリビア」からテンダーボートを下ろして600名が上陸する。人口2000の島に600人の観光客が押し寄せると島は1挙に満杯となる。昼食は船から運ぶしかない。
自動車も全島から集めてきたのに違いない。ありとあらゆる種類の車が並ぶ。私の乗った小型のバスはスコール中は後部座席の人は傘を開いていた。前部座席でも窓から離れていなければならない。スコールはなんの予告もなく突然にやってきて、4方の全風景をかき消して、豪快かつ爽快に降る。
イースター島はモアイ像の島である。昔は集落ごとに村の守り神モアイの巨大な石像を立てていたらしいが、今では集落はなくモアイ像だけが残されている。中でもアフ・トンガリキの15体のモアイがずらりと並んで立っている様は壮観である。身長も顔立ちも、多少の違いはあるが、目玉がない窪んだ目と真1文字に結んだ小さな口をしていて、とぼけた哲学者のような顔立ちから飄々として威厳のある気分が伝わってくる。横から見た姿も表情豊かで、長い耳、高い鼻、尖った顎と細い手から繊細な知性が漂ってくる。太古から悠久の時間を見ていたような静謐な相貌で立っているが、実はチリ地震の津波で散乱していたのを、最近日本の建設会社がクレーンを持ち込んで修復したのだという。こんな地の果ての孤島で、遺跡再建に取り組んでいた日本人もいたのかと感動する。
18、パペーテ(タヒチ)―3月25日(モーリア島のコテージ)
タヒチ島のパペーテに入港してツアー出発前の自由時間にK氏夫妻とパペーテの町を歩いた。市場でサンドイッチを買って食べたが、このおいしかったこと。フランスパンにハムと野菜が挟んであるただのサンドイッチなのだが、さんさんと陽のふりそそぐ街のベンチで食べたから美味しかったのだろうか。
モーレア島の私達のコテージは珊瑚礁の入り江に面していて梯子で海に下りられる。偶然にもK氏夫妻の隣になったコテージにシュノーケルの道具が置いてあり、K氏に使い方を教えてもらって、生まれて初めてシュノーケルというものをしてみた。私のコテージの下に珊瑚があり、そこに色鮮やかな熱帯魚が群がっている。指を差し出すと魚が突つきにきてくすぐったい。川のように細長い入り江の明るい日ざしに照らされた海底を見ならが散策していると、楽園という言葉が浮かんできて、「しばらく帰りたくないなぁ」という気分になってくる。
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