11、リオデジャネイロ(ブラジル)―2月26日
「ピースボート」はブラジルでスラムの子供達にコンピューターを教えているNGOにパソコンを寄贈する活動をしていて、今回も100台以上のパソコンを積んでいた。そのせいかリオデジャネイロの入港を少年少女達がサンバで歓迎してくれた。その人懐っこい笑顔、軽やかな身のこなしがすっかり気に入り、私はたちまちブラジルファンになる。コパカバーナビーチで私は混血の少年少女に親指を立てて写真を撮ってもいいかと尋ねる。実にいい笑顔で承諾してくれた。
リオにはポンジアスーカ(砂糖パン)というパンを立てたような山とコルコバードの丘という垂直にそそり立つ奇岩の2つの展望台がある。そこから眺めて見るとリオは山や丘や入り江や湖水が散在する起伏に富んだ街であった。コルコバードの丘の頂上に巨大なキリスト像が立っており、街のどこからでも仰ぎ見ることができた。リオは明るく開放的な街であった。
この旅で1番豪快な料理はシュラスコであった。1メートルもあるかと思われる串に刺した焼肉を手を挙げて止めるまで皿に切り落としてくれる。次から次へと牛の各部位の肉が出て来て、最初は美味しく食べていたが、あまりの量に圧倒されてたちまち戦意を失う。日本人向きの料理ではない。
12、イグアスの滝
リオデジャネイロの観光をすませてブエノスアイレスへ向かうオリビア号を見送って飛行機でイグアスの滝へ飛ぶ。イグアスの滝はブラジル、アルゼンチンにまたがり、大小300、幅4キロの世界最大の滝と言われるだけあって見渡す限り滝ばかりである。1つの滝だけでも今まで見たこともない水量なのに、そういう滝が1面に連なっているのだ。滝の中央に伸びている遊歩道を歩いていくと、数10メートル上から落下する滝の壁に包囲されて、ただ轟音と飛沫と水煙の水の世界に閉じ込められてしまう。ひたすら水ばかり、どうしてこんなに過剰な水がここに集中しているのか。
滝巡りの後、ボートに乗って巨大な滝壷へ接近する。みんな水着にレインコートという完全装備の勇姿で滝に立ち向かう。数10米上から落下する滝に向ってボートが直進する。滝の飛沫がボートを覆う。悲鳴と歓声が交錯してボートは揺れる。滝に濡れるということがこの観光のポイントでみんなズブ濡れに濡れてたちまち乾くのがまた爽快で、「ここで濡れなくては何のイグアスぞや」と嬉々として濡れる。イグアスはまことに壮大な水の祭典であった。
13、ブエノスアイレス(アルゼンチン)―3月2日(写真はラプラタ川)
イグアスの滝から空路ブエノスアイレスに行き、その夜はそこのホテルに泊まる。リオデジャネイロから4泊のランドツアーは終り、翌朝船に合流する。ブエノスアイレスは堂々たる近代都市であった。私はその街を歩いて見たが、白人の街という感じが強く混血の街リオとは全く異なる感触を受けた。ただブエノスアイレスにタンゴ発祥の地といわれるカミニートという風変りな街がある。イタリア移民の街で、けばけばしい色のプレハブの粗末な家が並び、壁にはレリーフがあり、街角ではアマチュア画家達の絵が売られている。場末の芸術家の街といった趣があり、なるほどタンゴはこのような地で始ったのかと納得する風情があった。
ブエノスアイレスからラプラタ川を渡り対岸のウルグアイの古都コロニアへ観光に行く。高速艇で1時間かかるラプラタ川の川幅に驚き、茶色の滔々たる濁流に驚いた。古都コロニアはその川岸にあり、石畳が敷かれた閑静な小さな街であった。
14、プンタアレナス(チリ)ー3月7日(写真はパイネ国立公園の氷河)
マジェラン海峡を通り抜けて「世界の果て、何もない街」と言われるプンタアレナスに入港する。そこからパイネ国立公園へ向ってパタゴニア地方を北上する。行けども行けども疎らな草原で、草原というよりも凍土に近く、人家はほとんど見当たらず、たまに鹿に似たグアナコの群やキツネがいた。途中昼食を取った小さな街以外に集落はなかった。パタゴニア地方は荒涼たる大地に美しい湖水が点在し、氷河を抱く岩山が聳えていて、自然は人を近寄せぬ荘厳な風貌をしていた。途中の湖にフラミンゴの群れが舞い降りていた。私達はバスから下りてフラミンゴを見、山裾に広がる氷河湖を見た。湖には氷河から流れ落ちた氷塊が積み重なってネイビーブルーに輝いていた。そのパイネ山のふもとのホテルに泊まり、翌朝異様な朝焼けを見た。辺り1帯をまがまがしいまでの真紅に染め上げて、この世のものとは思われぬ情景が現われ出た。