花の都フローレンス。この街のドゥオモ(花の聖母教会)とジョットの鐘楼は高層建築のない街の至る所から眺めることができる。この都市の景観の優美さは比類がない。小さいけれども世界を代表する美しい都市である。
このルネッサンス発祥の街はまるでルネッサンス博物館のようであった。ミケランジェロ、ラファエッロ、レオナルド・ダヴィンチといった天才たちはこの地でその才能を開花させた。彼らを呼び寄せ、ルネッサンスを演出したメディチ家の本拠ヴェッキオ宮殿がシニョーリア広場にあり、その前にミケランジェロのダヴィデのレプリカが置いてある。その横にはイタリア・ルネッサンスの代表作を集めたウフィツィ美術館がある。私たちは入館まで二時間待ったが、この広場はルネッサンスの記念碑がずらりと並んでいて、退屈しない。入館すると、名だた名画がこれまたずらりと並んでいて、ルネッサンスが目の当たりによみがえってくるのだが、その中でもボッティチェリの「春」と「ヴィーナスの誕生」の二枚は、ルネッサンスの誕生の瞬間を生々しく再現して見せてくれる。そうだ! これがルネッサンスだ!私は時代をワープする。
私はこの街で現代イタリア人には会わなかったような気がしてならない。
斜塔の街ピサはまことに簡潔な観光地であった。城門をくぐると大きなドゥオモが目に飛び込んで来る。私はピサは斜塔だけだと思っていたから、そのドゥオモのりっぱさに目を見張った。白い三層の建物のまわりに白い列柱が張り巡らされている。その上にドームがあり、これも白い列柱を張り巡らしている。斜塔はドゥオモに付属する鐘楼に過ぎなかった。ドゥオモ広場も広くて芝生が生い茂り、そこに腰を下ろしてゆっくりと斜塔の傾き具合を楽しむことができる。
私たちは阪神大震災で傾斜したビルをたくさん見たから、この程度の傾斜では驚かなくなっている。しかし建築以来千年近くも傾き続けているこの白い回廊と列柱を巡らした八重の美しい鐘楼には震災の傾斜とはまた別の歴史的情緒があって、見飽きることがない。観光客が大勢登ったからであろうか、近年とみに傾斜が大きくなり、今では倒壊の危険があって閉鎖中である。ドゥオモの、斜塔とは反対側に洗礼堂がある。これも白亜の円形の建物で、ロマネスク様式の華麗な建築物である。
水上バスはヴェネツィアの表玄関小マルコ広場に近づく。ドゥカーレ宮殿とサン・マルコ寺院の鐘楼の間立っている二本の円柱の奥に広がる小サン・マルコ小広場を巡るヴェネツィアの景観が現れる。私はこのような都市を見たことがない。陶然とするほどにも美しい。海上に舞い下りた天女のごとき気品とでも言おうか、言葉を失うほどにも美しい。
ナポレオンが「世界で最も美しい大広間」と称えたサン・マルコ広場はサン・マルコ寺院と十六世紀に建てられたプロクラティエという壮大な建物に囲まれた広場である。確かにそれは「広場」というより、はるかに「大広間」に近かった。それら白亜の建物の華麗な外壁のアーチ状の回廊や窓がちょうど広場の内壁となって、この空間に屋外の開放感ではない、壮麗な祝祭的雰囲気を与えている。この広場は様々な国家的儀式が行われた政治的演劇的空間に他ならなかった。
さて、次はいよいよ待望のゴンドラ観光である。黒塗りのゴンドラが水の都の水路に漕ぎ出すのである。家並の高さは他のイタリア中世城郭都市と同じのほぼ四階建ではあるが、道路より一段低い水路に浮かぶゴンドラから見上げるると、なんだかゆらゆらとワンダーランドに滑り込んで行くようで、建ち並ぶ街並は時代の風化にさらされながらなお風格と気品に満ち、その一軒も見落とすまいと目を見張って見つめているうちに異星の都市に漂着したようにも思えてくるではないか。これが本当に地上の都市なのか。人はどうしてこんな街を作ったのか。街並に沿って水路は曲り、あるいは水路に沿って街並は曲り、その度に立ち姿を水面に輝かせながら家々が現れてくるのであった。これはもう都市というよなものではなく、都市についての人間の思念が結晶した虚構のように思えてくる。何だか私は夢心地になる。
ヴェローナもまた中世城郭都市である。私たちのヴェローナはまずイタリア人現地ガイド・マリオ氏と落ち合うことから始まる。われわれのバスは途中の休憩所で買い物に夢中になって時間を守らない者がいたりして、マリオ氏に待ち惚けを食わせてしまったらしい。この小柄な初老のガイド氏は色鮮やかなネッカチーフを巻いた誠にイタリア人らしいシックないでたちで、イタリアの三色旗で作った幟のごとき目印の旗を持ってヴェローナの城門の前で我々を待っていた。
まずロミオの家に行き、続いてジュリエットの家に行く。勿論シェクスピアの『ロミオとジュリエット』の主人公たちである。マリオ氏はそれを作品の登場人物としてではなく、実在の事件の主役として紹介している。ジュリエットの家に至っては、彼らが呼び交わしたベランダやジュリエットの立像まであるのだから、これはマリオ氏の責任ではないが、作品と事実を混同して観光の目玉とするいかがわしい商売には困ったものだが、これをマリオ氏がいかがわしい日本語で身振り手振りの熱演調でやると、なんだか真に迫って結構さまになるのだ。この込み入った話を整然と語るほどに彼の日本語は流暢ではないので、テキストの棒読みなのだが、その訛りが逆に愛嬌になって我々を笑わせるのだ。私などは彼の話の中身よりも彼の話し振りに魅惑されてほれぼれとみとれていたのだ。彼はサービス精神旺盛で、いろいろ小道具を用意していて、例えば地図など持ち出して、我々の中の二人に持たせて説明し、「ツギ サカサマ」というと裏にまた別の地図が現れてわれわれを楽しませるしかけを凝らしている。人遣いがうまくて、我々との垣根をあっという間にとっぱらってしまうのだ。自分をリーダーと心得ていて、添乗員という日本語を知らないものだから、添乗員のMさんをサブリーダー、サブリーダーと呼び立てて、いつも自分の側に引き付けて置きたがった。私が連れ合い撮ろうとしていると、呼び止めて、自分とのツーショットを撮らせてしまうのだ。そういうことを嫌味なく、ユーモラスにやってのける芸にはほとほと感心する。お陰で私たちはすっかりマリオ氏が好きになって、彼につきまとい、彼の意図どおり彼からはぐれることはなかった。私たちは彼の変形三色旗に先導されてヴェローナの支配者スカリジェリ家のけばけばしい廟を見学し、ダンテ像のあるシニョーリー広場を見学した。シニョーリー広場ではマリオ氏が子供の頃大水が出て、叔母さんがプールになった広場をどんな風に泳いだか、身振り手振りで説明してくれた。最後にヴェローナの円形劇場を見学した。これはローマ時代の遺跡でよく保存されていて、今でも年に一度は歌劇が上演される現役の劇場である。ここでついにマリオ氏は歌劇の一節を歌いはじめた。指揮者然と両手を振って力いっぱいの熱唱に我々は熱い拍手を送った。なかなかの役者である。この時沛然と雨が降りはじめて、ローマ時代の情趣が蘇るかのようだった。私たちは雨の中、マリオ氏と別れた。彼はここに自転車とレインコートを置いていて、そのレインコートがうまく着られず、通りがかりの若者に手伝わせているのを信号待ちのバスの中から見とれていた。レインコートの着用だって見飽きぬ風情である。結局私たちのヴェローナは陽気な名優マリオ氏の追っかけに終わって、街そのものの印象はなんだか影の薄いものになってしまった。でも私たちは紛れもないイタリア人を観たのであった。