5、地中海
待望のスエズ運河は左にアフリカ大陸、右にシナイ半島を見ながら一日かかって通過した。両岸とも砂漠が続き、たまにオアシスの中に保養地があり、たまにビーチがあり、たまに汽車が走っていた。その日船の行事は中止され、のんびりと一日中単調な風景を見て過ごした。
ポートサイドからリスボンへ地中海を通り抜けた。地中海銀座と言われるように寄港地ラッシュだ。真夏の地中海こそ体力勝負の難関である。ヨーロッパは猛烈な暑さで、ローマでは四十度を越えた。帰国後日本は冷夏だと聞いた。船では日本からの情報は意識的に遮断して暮らした。寄港地ごとに新聞が届いていたが、近寄らなかった。日本から遠く離れて、日常の暮らしから自分の根っこを引き抜いて、浮き草のごとく漂いたかった。そうして根に張りついている汚れを洗い流したかった。旅はそういう自己更新の場である。
地中海世界の入り口にエジプトがあった。ここはまったく異質で手ががりのない世界であった。砂漠の中にそそり立つギザの三大ピラミッドの正四角錐の異様にして完璧な美しさにしばらく棒立ちになる。その一つのクフ王のピラミッドに近づいて石段を登ってみる。階段ピラミッドではないが、覆いが剥ぎ取られて石組みがむぎ出しになっている。四千年前にこれをどうして積み上げたのか。古代エジプト人の想像力と技術力の不思議さは及びもつかない。砂漠とラクダとピラミッドはいい取り合わせではないかと思い、ラクダに乗ってはみたが、意外に乗り心地が悪く、ピラミッドを見るどころではなかった。
キプロスへくるとがらりと雰囲気が変わり、ここからヨーロッパ世界がはじまる。エジプトから来ると、なじみ深い風景で何だかほっとする。この島はいたるところに古代ギリシャ式遺跡があった。
ギリシャといえばパルテノン神殿と思っていた。でもこの神殿がアクロポリスの丘に建っていなかったらこれほどの輝きを放ったであろうか。アテネのあらゆる場所から見上げられるそのロケーションゆえに、人々の賛嘆と信仰を勝ち得たのであった。パルテノン神殿の造営者は人心掌握術に通暁していたに違いない。今回のギリシャの旅での発見であった。
ローマのトレヴィの泉に後ろ向きに硬貨を投げ込むとふたたびローマに帰ってくるという言い伝えがある。ローマには三度も来たからもう投げない言うと、妻は
「そんな弱気なことでどうするの」
と勢いよく硬貨を投げ込む。それを写真に撮ろうとして、もう一度、もう一度と三回投げてもらう。三回投げたものは離婚するという説があるとガイドがいうので大笑いした。ちなみに二回が投げると恋を得るという。ローマはいろいろ物語のある都市である。まだ見ていないところが多いので、私はまたも硬貨を投げ込む。
ガイド嬢に桃紅茶が美味しいと教えられたので、ホテルの近くのバール(喫茶店)に行き、彼女の口真似で「ビーチテフレット」と言ってみるが、何度言っても通じない。痺れを切らしたマスターが「Cold tea?」、私が「Oh, Yes, cold tea!」というと聞き耳を立てていた客が一斉に笑う。若い兄ちゃんが「桃太郎、金太郎、友達」と知っている日本語を総動員して話しかけてくる。まことに陽気な人たちである。
バルセロナでフラメンコを見た。私はフラメンコは男の踊りと思っている。リーダーの男性のソロが圧巻だった。彼が登場すると舞台は活況を帯びる。そのダイナミックな踊りは観衆の熱気を掻き立て、舞台と聴衆が一体となって燃え上がる。日本人の観客の拍手がすごい。拍手の大きさに舞台はまた一際燃え上がり、予定時間を大幅に越えて熱演が続く。帰りのバスの中で、添乗員のY氏が興奮冷めやらぬ口調で「今日のフラメンコは最高でしたね。あんなの初めてです」と絶賛した。
ポルトガルは15世紀の大航海時代に絶頂に達し、その後は次第に没落していく国である。首都リスボンも昔栄えた古い街という感じで、トラム(路面電車)が我が物顔に走り回っていた。旧市街アルファマ地区の裏町は車の通れない細い道がうねうねと屈曲している。壁が剥落した四階建ての間の路地に洗濯物がはためき、少年たちがたむろしている。古いポルトガルの面影の残るうらさびれた港町を私は陶然として歩いたのであった。リスボンは今回のツアー最高の街であった。
6、船内生活1
このピースボートの船は他の観光船と違って、船が主催する行事の外に乗客が主催する自主企画があった。一日百を越える自主企画があるという。その中にMrヒロの「やさしい手品教室」があった。最初に出てみて、この旅は「やさしい手品教室」第一と決めた。今地元で「はつらつ亭」という小噺グループに入れてもらっているが、語りはさっぱりで、もっぱら雑用係を勤めている。手品を学んで帰って幕間に出してもらおうという魂胆である。ところが「教室」で教えてもらうことは何とか分かるのだが、記録する暇がない。記録しておかなくては復習もままならない。その時間帯は語学教室に出ていた妻に頼んでノートを取ってもらうことにする。妻のノートを頼りに帰ってから必ず復習した。私は久しぶりに学ぶ喜びに高揚していた。Mrヒロは授業の初めに新しいマジックを披露してくれる。その手際の鮮やかさにいつも感嘆する。教え方が簡明で、複雑な手順も実に分かりやすく解説してくれる。新しい技を教えてもらう度に「おお、こういうことも出来るのか」と感動する。教室は新しい技の連続で、教室がある時は早く行って前のいい席を取る。よくもこの船にMrヒロが乗っていてくれたものよと手品との出会いに感謝する。
ケニアから落語家の「古今亭菊千代」さんが水先案内人(ボランティアの講師)として乗船してくる。女性初の真打である。船で落語が聴けるなんて望外の幸せである。「初天神」「たらちね」「おたのみ」などを聞く。この人が弟子を募集して「渡波亭一門」と名づけて最後に発表会をするという。わが師Mrヒロは好奇心旺盛、何事にも積極的な人で「渡波亭」に入門して、発表会で「渡波亭弘菊」名乗って「酒の粕」という長い落語を語ることになった。当日手品教室の生徒は最前列に陣取り「待ってました!弘菊!」と声をかける。これが楽しくて私など三回も叫んだのであった。それにしてもあの長い「酒の粕」をよどみなく語るMrヒロの記憶力には舌を巻く他ない。
さらに後日、芸術研究家カジポン氏が水先案内人としてビデオの山とともに乗船して「芸術パラダイス」という講座をする。この人は舞台を駆け回る熱弁であらゆるジャンルの芸術を紹介する。私は今回のビデオの中では能、歌舞伎、仏像など日本の伝統芸術を好んで見た。とりわけ落語を愛好した。この人は下船前「芸パラ 24時間講座〜芸術は地球を救う〜」という一昼夜ぶち抜きの番組をしていた。すべての芸術のすばらしさを伝えたいという熱意がほとばしる講座であった。