7、マサイマラ(ケニア) (写真はマサイマラ自然保護区のチーターとマサイ族の村)

マサイマラ国立自然保護区の草原には野生動物があふれていた。果てしない草原にさまざまな群れが現れては消えた。インパラ、ガゼル、縞馬、象、ヌー、キリン、たまにはライオン、チーター・・・マサイマラの村で乾燥牛糞で作った家を見せてもらった。その簡潔な暮らしぶりに驚嘆した。





8、スエズ運河

紅海と地中海を結ぶスエズ運河は171キロあって、右にシナイ半島と左にアフリカ大陸を見ながら1日かけて航行する。両岸ともに延々たる砂漠で、エジプト側にはたまにリゾート地が現れるが、一日中荒涼たる風景が続く。船の全企画が休止し、クルーも仕事がないのか避難訓練をしていた。



9、ギザ(エジプト)
 (写真は手前クフ王と後方メンカフラ王のピラミッド)

ギザの三大ピラミッドがカイロの町並みの彼方に現れる。この世のものとは思われない正四角錐の異様にして完璧な美しさ。古代エジプト人のイマジネーションの不思議さに呆然とする。地球の彼方、宇宙の一角に死後の世界通りとでもいうべき町が現前していた。


10、キプロス
 (写真はクリオンの円形劇場)

キプロスへくるとがらりと雰囲気が変わり、ここからヨーロッパ世界がはじまるのだと感慨を持つ。最初に訪れたクリオンの円形劇場は海に向かって開けるギリシャ様式である。この島はいたるところに古代ギリシャ式遺跡があり、アフロディーテ(ビーナス)生誕の海まである。

 

11、アテネ (写真はパルテノン神殿)


ギリシャといえばパルテノン神殿と思っていた。でもこの神殿がアクロポリスの丘に建っていなかったらこれほど荘厳な輝きを放ったであろうか。アテネのあらゆる場所から見上げられるそのロケーションゆえに、それは世界の中心たり得たのであった。今回のギリシャの旅の発見であった。

12、ローマ (写真はトレビの泉)

トレビの泉に硬貨を後ろ向きに投げ込むとローマに帰ってくるといわれている。そのせいではあるまいが、ローマは三度目になる。ガイド嬢に桃紅茶が美味しいと教えられたので、ホテルの近くのバール(喫茶店)に行き、彼女の口真似で「ビーチテフレット」と言ってみるが、何度言っても通じない。痺れを切らしたバーテンが「cold tea?」という。「oh yes cold tea!」と言うと聞き耳を立てていた客が一斉に笑う。若い兄ちゃんが「桃太郎、金太郎、友達」と知っている日本語を総動員して話しかけてくる。まことにほがらかな人たちである。

13、バルセロナ (写真はバルセロナのタブラオ)

バルセロナでフラメンコを見た。フラメンコと言えば女性の華やかなダンスという印象があるが、男のソロが圧巻だった。その男が登場すると舞台は活況を帯びる。そのダイナミックな踊りは観衆の熱気を掻き立て、舞台と聴衆が一体感で燃え上がる。女性陣の華麗な衣装も円熟した踊りもこのスターよっていっそう輝きを増す。

14,リスボン(ポルトガル)写真は旧市街アラファマ地区)


リスボン旧市街アラファマ地区の細い裏町を歩いていると懐かしい気持ちが沸いてくる。壁が剥落した4階建ての谷間を縫って流れる路地に洗濯物がはためき、少年たちがたむろしている。世界史から忘れられたポルトガルの、昔ながらの港町の風情が漂う。(写真は旧市街アラファマ地区)









15、ニューヨーク 
(写真はヤンキースタディアム)

私は少年のころニューヨークにあこがれていた。摩天楼を一度見てみたと思っていた。ハドソン川から最初に見た高層建築群はやはり圧倒的な美しさであった。今どき高層都市はありふれているが、ニューヨークの摩天楼はその規模と高さにおいて他を圧している。

私は野球少年であった。野球のメッカ、ヤンキースタジアムで松井のホームランとイチローのスライディングキャッチを見た。夢のような一時であった。
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