4ページ
10、アグラ
 デリーは再びAホテルである。今日は四時にモーニングコールが鳴る。ツアーは朝が早いが、四時というのは初体験である。デリー駅はまだ真っ暗で、六時十分発のタージ・エクスプレスを待つ。寒いし、待ち時間が長い。構内の待ち合い室へ入ってみて、驚いた。椅子は空いているのだけれども、皆床に転がって寝ているのである。寝ている人を踏まないようにそろりそろりと歩いて空いている椅子にたどりつく。この人たちは汽車待ちの人か、ここをねぐらにしている人か分からないが、こういう人々に囲まれていると、何となく落ち着かない気がしてくる。寒いけれども外を歩いている方が気が晴れる。汽車に乗ってから弁当が配られる。これはインドの弁当なのだろうな。ホテルの食事は洋食中心のバイキング料理で、インド料理のカレー味もあまり辛くなくて結構おいしい。しかしこの弁当は正直言ってかなりまずい。あちこちつついて半分食べるのがやっとだった。
 汽車に乗ってかなりの時間が経つのに、いっかな夜が明けないのである。外はいつまで経っても真っ暗だ。インドの夜明けはおそいなあ不思議がっていると、やがて真相が分かった。汽車は二重窓で、内側のガラスが汚れているのだ。そこの汚れは拭きようがなくて、最後まで外の風景は見えずに終わった。あの有名なタージ・エクスプレスがである。
 
11、タージマハール
 アグラと言えば、タージマハール、インド観光のハイライトである。高校の世界史の教科書を開いて見ると、ネパールは一行の記述もないが、タージマハールの写真の出ていない教科書はない。もうインドと言えば、タージマハールというくらい有名である。門を潜って写真でおなじみの建物に正対する。ほとんど完璧な美、この世ならぬたたずまいにホーっと溜め息がもれる。これは墓であるという。死後の世界という虚構に向かっての巨大なイマジネーションの集積。それが時として生きている人間の猥雑さとは無縁の純粋無垢な美を作り上げることがある。ムガール帝国第五代皇帝シャー・ジャハンが愛妃ムムターズ・マハールのために二二年の歳月をかけて建設したインド・イスラム建築の傑作である。アグラ城をはじめ数々の巨大な宮殿を造ったこの建築狂の王様はこの背後に流れるヤムナ川に大理石の橋を架けてタージマハールと同じ構造の自分の墓を黒大理石で造る構想を抱いていたという。とんでもないことを考える男もいたものだ。曲線の優美な美しさが近づくにつれて、次第に直線の威厳に変化する。裸足で台座に登ると、そそり立つ大理石の巨柱に唐草模様とコーランの文字が刻まれている。唐草模様は刻んでいるのではなく、宝石が象嵌されているという。イスラム教は一切の偶像を認めないので、建物も極めて簡潔だ。建物も庭も左右対称の幾何学的構成で、庭の側道を歩いてみると、樹木の枝越しに見えるタージマハールもまた正面とは違った趣がある。それにここは混雑している中央の通路とは別世界で誰一人歩く者もいない。時々木陰からリスが走り出てくる静寂の世界で観光客がひしめくタージマハールとは思われない。私たちはもう一つのタージマハールを楽しんだ。

12、アグラ城 
次はアグラ城に行く。赤砂岩石の堂々たる城でシャー・ジャハンが晩年息子に帝位を簒奪された後、幽閉された囚われの塔がある。そこで彼は遠くヤムナ川の彼方のタージマハールを眺めながら暮らしたと言う。晩年視力の衰えたシャー・シャハンがタージマハールを見るためにダイアモンドの鏡に映して見る仕掛けを作ったが、今でもダイアモンドの代わりに鏡を置くと、肉眼ではかすかにしか見えないタージマハールが実にくっきりと見える。
 アグラ城には会議所があり、王様が玉座に座って普通の声で話をすると、屋外の民衆にまでその声が聞こえるような音響装置が施されている。ガイド氏が玉座でマッチをすると、屋外の私たちの所でもその音がよく聞き取れるのである。アグラ城にはこのような不思議な仕掛けが幾つかある。

13、インドの農村(写真上は延々と続く菜の花畑)(写真下は沿道の村落)

今日は午後アグラからジャイプルへ行くのだという。一応舗装はされているものの、補修はしていないガタガタ道をバスは走りに走る。行けども行けども菜の花畑が続く。本当に一面の菜の花畑の連なりである。私は思わず「これは奈良時代ではないか」と叫ぶ。何という原始農業、こんなに菜の花ばかり作ってどうするのだろう。菜の花は手入れのしようがなくて、種を蒔いておけばそれでお終いの農業ではないだろうか。見ていても畑仕事をしている者など一人もいやしない。行けども行けども一面の菜の花畑、呆れるほどの菜の花畑の所々に村があり、男たちはたむろして話こんでいる姿があるばかりだ。行けども行けども同じ風景の連続である。時に女たちが頭に物を載せて歩いているのに出会う。時にバザールがあり、ここでも男たちは車座になってたむろしている。誰一人働いている様子もないこの菜の花畑の中で人々はどうして暮らしを立てているの か。バスの車窓から見たインドの農村の不思議さを私は飽きることなく眺め続けた。なんという豊かな貧困!
 バスがまたすごいのだ。でこぼこ道をフルスピードでぶっ飛ばすのである。片道一車線の道を対抗車線を追い越し車線と心得て走るのである。走行しているのはラクダ荷車、牛車、馬車、自転車、バイク、オートリクシャと言ったものだから、追い越さない訳にはいかない。追い越す時は必ずフォーンを高らかに鳴らすのでその騒々しさは相当なものである。まあそれはそれでいいのだが、怖いのは対向車が近づいてくるのに平気で対向車線に出て行くのである。私の座席は前から三番目なので、前を見ていると心臓に悪いのである。これでよく正面衝突しないものだと感心する。しかし時に正面衝突した車両が転がっていたりする。事故車はその周りに小石で囲って通行遮断してある。交通事故にあったらしい牛が小石で囲われて寝転んでいたりする。人々が牛の最期を看取るためか、バナナや何かを牛に供えて牛を取り囲んでいる場面に出会う。インドでは牛は聖なる存在だから、労働に耐えられない牛は捨てられて野良牛となるらしい。そんな牛があちこちにいるから交通事故にも会おうというものだ。街灯など全くない闇夜をバスはフルスピードで疾走する。夜になると、沿道の村やバザールは電灯のともる家と蝋燭のともる家と闇の中に沈む家とに分かれる。電灯の家は少数である。闇に沈んだ家々を見ながらインドの農村の貧しさについてを考え込んでしまう。
                                
                                次のページへ