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8、バクタブル
(写真はニャタポラ寺院)
ホテルへ帰り昼食を取って午後バクタブル観光をする。私は一歩足を踏み入れた瞬間からこの街が気に入る。どうしてか懐かしさが込み上げてくるという趣の街であった。古いレンガ造りの中層の建物が並ぶ街並が続く。街全体が赤茶けている。街はひっそりと静まっている。私たち日本人一行だけがどやどやと歩いている。あちこちに商店らしきものがあるにはあるが、ネパール人はもの静かである。私たちは街を歩いてトウマディー広場へ出る。ここにニャタポラ寺院がある。これはバクタブルでは一際大きく、一番高い建物である。レンガの五層の土台の上に五重の塔が立っている。レンガの部分には石段があり、石像がある。下から人間、象、ライオン、グリフィンという狛犬のようなもの、女神が一対ずつ置かれており、それぞれ下のものより十倍の力を持っているという。私には理解不能のヒンズーの序列である。グリフィンが街のあちこちに置かれている。日本の狛犬より一回り大きい。石段の最上階まで登って街を展望しようとするが、あまり高くない。ヒンズー寺院はキリスト教の教会のように天へ向かって聳え立つということがない。次いでダルパール広場へ行く。王宮の前には必ずダルパール広場があり、その周囲にヒンズー寺院が並んでいる。つまりは祭政一致というやつだ。旧王宮は今美術館になっている。ダルパール広場で私たちの観光は終り、バスまで歩く。どこから現れたのか、物売りの集団が我々を取り囲む。派手なプリント模様の袋などを売っている。中に象を持っている者がいる。私が買ったのより少しこぶりであるが、模様などは精巧である。ここの象ははなから千円だという。どうしてだんだん安くなって行くのか、あの最初の買い物はなんだったのか、私はペテンにかかったような気分になり、すっかりお買い物の戦意を喪失してしまう。私が買う気がなくなると、彼らはもう決して私に寄り付かない。一見して買うか買わないかが分かるらしい。彼らは実に正確に我々の買う気と懐具合を見抜いている。いつもにこにこと歩いているM氏は売り子の集団を引き連れて歩いている。いらないよ、買わないよ、なんて言いながら、結局、あ、また買っちゃたなんて、いくらでも買う。また買ったんですかと我々は呆れて見ている。そんなに買ってどうすんですか、あちこち配っとけばいいんですよ。彼はあくまで鷹揚である。いらないと断ると始め十枚千円だった袋が、十二枚千円になり、十五枚千円になって行く。でも渡す時に一枚抜き取られるということもあるらしい。そんな駆け引きがアジアのショッピングの面白さであるようだ。「売り子を引き連れて歩くのは王侯貴族になったような気分やね」とSさんが言った。そう、アジアのお買い物ツアーの醍醐味はこの辺りにあるらしい。カトマンズへの帰路、ガイド氏は自分の家を紹介する。「あの二階建が私の家です。カトマンズの土地は高くて九百万円ね、家はもっとお安いです」。私たちは他の物価に比べて地価の高さに驚き、彼の自慢の家を祝福して拍手する。
9、カトマンズ観光(写真上はカトマンズの鳩の群れる寺)(写真中はハヌマン・ドガと少年)(写真下はインドラ・チョーク)
午後はカトマンズ観光である。カトマンズは寺だらけである。その寺々を見て回って旧王宮へ行く。旧王宮の入り口にハヌマン・ドガという赤い猿神の像があり、そこに男の子が一人付き添って立っている。何をしているのかと見ていると、お供えをした者に祝福の赤い粉を額に付けている。私などは見せ物と間違えていつまでもその子供の可愛らしさに見とれていた。私はお供えが何もないので、赤い粉は付けて貰えなかった。
次はクマリと呼ばれる女の子を見た。クマリは生き神様で由緒ある家柄の幼女から選ばれ、初潮をみると交替するという。彼女は神だから祭りには主役を勤め、国王も彼女の前にひざまづくという。
彼女はここに家族と分かれて暮らし、一歩も外に出ることがない。クマリを勤めた者は一生結婚することが出来ない。今や彼女は観光名物と化し、拝観料を出すと、二階の窓から顔を見せてくれる。しかし写真は撮ってはならない。しばらく待っていると、六、七歳のかわいい少女が顔を出す。神様だからこうするしかないというようなものうげな顔で何を見るでもない神様の視線を辺りに漂わせて顔見せに出て来た。このクマリもまた不思議なものだ。私にはこれはヒンズーではなく、もっとネパールの土俗的なものに根ざしているのではないかと思う。例えば日本古代の斎宮のようなものではなかろうかと思うのだが。
帰りインドラ・チョークというカトマンズ最大のバザールを歩いてホテルへ帰る。ここは一度歩いてみたかった所で、ネパール人のひしめく街を、色彩あざやかな商品の陳列に目を奪われながら歩く。雑多な商品がアナーキに並ぶ、中世的アジア的な繁華街である。幼時の寺や神社の祭りの夜店を心ときめかして歩いた、あの懐かしい思い出が蘇る。
カトマンズは山岳地帯やインドから流入した人々で今人口が急増中だ。職のない人々がぶらぶら歩いている。彼らの悠揚迫らぬぶらぶら歩きは、人間あくせくすることはない、こんなふうに歩いていても生きて行けるものだと語っているかのようだ。定年後の私の生き方の見本が示されているではないか。そうだ、私もぶらぶら街歩きをしよう。
夕方カトマンズ空港から、再びデリーヘ飛ぶ。空港からヒマラヤが見える。今朝の遊覧飛行を不能にさせた濃霧がうそのような快晴だ。飛行機の座席が山側の窓際で、今朝見られなかったヒマラヤが存分に見える。はるか彼方を飛ぶので、遊覧飛行というわけにはゆかぬが、それでもヒマラヤ連峰がいつまでも見える。地球の巨大さ、人を寄せ付けない自然の偉大さに目を奪われる。これは神々の領域だ。
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