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5、カトマンズ

 さて、インド観光はここで終わって午後デリー空港からカトマンズに飛ぶ。私たちはネパールの山の上を飛ぶ。山々は頂上まで耕されていて、その棚田は日本の棚田以上に整然としている。孫文の「耕して天に至る。貧なるかな」という言葉を思い出す。ネパールは貧しい国である。よく見ると日本の棚田と違って、山頂の尾根づたいに家並が見える。後で聞いたところでは、マラリアの蚊を防ぐために高所に家を建てているのだという。
 カトマンズ空港で自分たちの荷物をバスまで運ぶので、大型カート何台かに荷物を積み上げたが、さてポーターがいない。私は突然カートを押してみたくなり、その内の一台を押して空港の通路を渡り、バスの近くまで来た時、一人のネパール人が私を押し退けてカートを押そうとする。私は旅行社のポーターだろうと思って彼にカートを渡したのだが、バスの所までのほん十メートルほどを押すと、彼は私にチップ、チップというので、呆気に取られた。私は小銭の用意がない。それにみんなの荷物を運んで、その上チップまで取られるのは割りに合わなのではないかと思う。後は添乗員に任せることにする。気の毒に、彼の労働には対価は支払われない。
 カトマンズのアンナプルナホテルはやはり五つ星で、レイの歓迎を受ける。部屋には蝋燭が置いてある。多分停電用なのであろう。風呂の湯がぬるくて困った。私たちが一斉に風呂を使ったため電圧が低下したのだという。

6、古都パタン (写真上は雨のパタンの街)(写真下は三千円で買った象)
翌日午前古都パタン観光である。朝から雨が降っている。この時期、この辺りは乾季で観光のベストシーズンというので雨は降らないものと決めて雨具の用意をしていない。観光バス会社が傘を貸してくれるという。ネパールもサービスがゆき届いている。雨の中を歩いていると一人の若者が象の彫り物を一個持っていて私に買わないかと言う。彼は傘をさしてしない。ほとんどのネパール人は傘をさしていない。象は一万円だと言う。私は昨日のインドの土産店で見た象の彫り物をなかなかいい物だと思い、値段を聞くとディスカントして八千円だという。私は旅に出ると、その旅を記念する品を一つ買うことにしている。その象をもう少し安ければ買ってもいいと思った。その昨日の象に比べると少し小さいが、親象の回りに子象が七頭も群れていて、背中の模様もなかなか精密で、一目見て、心が動いた。
若者は私のその心の動きを素早く読み取ったらしい。でもまあ旅は 始まったところだ。私はまだ買う気にはならない。「いらない」と答える。すでに私の心を読み取っている彼はそんなことではあきらめない。「幾らなら買う」と攻め込んで来る。「千円なら買う」とからかって見る。これがよくなかった。このとき私たちの勝負は決着していた。カトマンズの平均月収は三千円だという。我々の千円と彼らの千円は桁が違うということを私は全く分かっていない。彼はこの時千円で売ったとしても十分採算が取れていたのだ。「千円だめ、八千円」と言う。「高い、いらない」。しかし彼はもう私に売ることに決めてしまっていた。私は彼を連れてパタン観光をすることになってしまった。「幾らなら買う」「千円」「千円だめ、幾らなら買う」私たちはどこまでも同じセリフを繰り返しながら雨の中を歩く。
我々は街並を歩いてダルパール広場(王宮前広場)に出る。ここパタンは一五世紀に成立したマッラ王朝の三つの王朝の古都の一つである。この立ち並んでいるヒンズー教寺院も多分その時代のものであろう。ここのヒンズー教寺院はインドのビルラ寺院とは全く趣を異にしていて、木造や石造の多層塔で、日本の五重の塔に似ていたが、どれも規模は小さく、茶色にくすんでいる。その中でも一番大きい建物の中に入る。そこははどうも寺院ではなく、生け贄を捧げる儀式を取り行う場所であるらしい。建物に取り囲まれた正方形の中庭の四隅に多層塔が建っている。中庭を取り囲む建物の柱にはヒンズーの神々が彫られている。庭の中央に生け贄を祀るらしい祭壇のごときものがあり、私たちはこの何やら得体の知れないヒンズー教の聖なる空間でしばらく時を過ごしたのである。
そこから出ると、あの若者が私を待ち受けていた。私たちはまた同じような中庭のあるヒンズーの建物に入る。今度は土産物店とトイレがある。出口では彼はちゃんと私を待っていて、私に売り付けることを今日の仕事にしているかのようだ。また同じ会話が再会される。「幾らなら買うか」「千円」「千円だめ、幾らなら買うか」私は根負けする。段々と買ってもいいような気分になる。「二千円」。遂に私は彼の罠にかかる。「二千円だめ、七千円」。私のポケットには三千円入っている。始めに一万円といったのだから、三千円で買えばいい買い物ではないか。遂に私は有り金全部を出す。「三千円」。所が彼は「三千円だめ、五千円」「三千円しかない、もういらん」「三千円、十ドル」ドルがあるならそれも取ってしまおうという魂胆らしい。したたかな相手だ。このとき私が三千円以上持っていたら、全部取られたに違いない。私は用心をして、多額の現金を持たないことにしていた。彼も私にそれ以上の金がないことを納得したのか、「三千円、OK]といって、古い布に包んでくれた。私はこの買い物に満足であった。思えば物を値切って買うという体験のない私が始めて成し遂げた快挙というものではないか。私はバスに帰り私の戦果をツアーの人たちに披露する。

7、スワヤンブナート(写真は目玉寺)
 
次にバスはスワヤンブナートに立ち寄る。カトマンズ郊外のチベット仏教(ラマ教)寺院である。小高い丘の上にあり、晴れた日にはカトマンズ盆地とヒマラヤが見えるという。その丘に登ると、タルチョーという万国旗のような祈りの旗がはためく仏教寺院がある。ここは別名猿の寺とも言われて猿の住み着いている寺であるが、何よりも目玉寺と言われるように、ストゥーパ(仏塔)に大きな目玉が描かれているのが有名だ。ストゥーパの四方に描かれた青い隈取りの大きな目玉はすべてを見通す仏の目であるという。丘の上からカトマンズ盆地を見下ろす目玉、ストゥーパの大きな目玉は生々しい迫力があった。この色彩豊かなストゥーパに現れたチベット仏教は日本の仏塔、例えば五重の塔よりはるかに原始的であり、具象的であった。日本の仏教は抽象化の道を歩み、生身の人間を置き去りにしたのではないかと思う。例えば仏典は古典中国語に翻訳されたものを中国語の発音で読んでいるだけで、少しも自国語に組み替えようという努力がなされていない。極めて怠惰な精神によって支えられている、そのような宗教のありかたが遂に葬式宗教に堕するのは当然の道行きだというべきか。その点で私はチベット仏教に対して親近感を抱いた。
 そのスワヤンブナートの丘から降りて来る階段で私はまた象売りに会う。ここの象はパターンの象と形は同じだが、模様に色彩が施されて華やかである。私は象売りを冷やかして見る。今度は何故か二千円から始める。「二千円、OK]。ほとんどこれは不意打ちと言うものではないか。私はちょっと調子に乗ってはしゃぎ過ぎたらしい、こんなにたやすく話がまとまるとは思ってもみなかった。私はまたも象をツアーの人たちに披露する。二千円は安いと思ったのか、私に釣られてバスの窓を開けて、五、六人が象を買う。相場は二千円、それ以上は決して安くならない。バスの出発のどさくさに五百円値切ろうと試みた不心得者もいたが、売り子たちはバスを叩いて抗議したので、バスは動けなくなった。相場というものはかくも厳格であった。この象は一見華やかだが、よく見ると模様が少し稚拙で、やはり千円の差というものがあるのかと納得する。

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