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                 インド・ネパール観光記

1初めてのアジアデリから
 どうしてインドはヨーロッパより遠いのか。関空→ソウル→バンコクと回って14時間かかってデリーに着いた。デリー空港での入国手続きがインド的と言うのか、のどかな仕事ぶりに呆れる。通関職員がテレビを見てはひとしきり笑い、隣の職員としばらく雑談し、その合間にちょっと仕事をするという具合なのである。こちらはもう深夜なので一刻も早くホテルへ行きたいのでいらいらする。
 デリー空港で出迎えのバスに乗って驚いた。まず乗り込む時にレイをかけてくれる。ガイドは大学出の男性二人、インドでは大学卒はどんなエリートであるか、日本の明治時代の大卒くらいと考えて欲しい。それにドアボーイまでいるのだ。彼は観光客が乗り降りする時、踏み台を置き、介添えをしてくれるのである。これに若いハンサムな添乗員に添乗員見習いの美女までいるのだ。ホテルに着いて部屋割りをして、両替をすると何時になるかと心配していると、バスの中で、五千円両替してくれて、部屋割りもバスの中で済ましてキーも渡してくれる。その上、今夜の枕銭の五ルピーの袋と切手を貼った絵葉書二枚のプレゼントがついている。それにミネラルウォーターの二リットル入りのボトルまでついているのだ。こんなサービス満点の旅行社は始めてだ。
今度のツアーのホテルはすべて五つ星である。五つ星ホテルとはどんなものか楽しみである。夜だから外観は見えないが、内部はもう驚くほどの広さだ。エレベーターを降りてから自分の部屋の番号を探して行けども行けども部屋に行き着かない。途中で不安になって引き返して確かめていると、ボーイらしき者が私の手からキーをもぎ取ってどんどん歩いて行く。私の手からのキーの取り方が奪い取るという感じの強引さなので、私は少し嫌な気持ちで付いて行く。案の定彼は部屋を開けると中へ入っていっかな出て行こうとはしなかった。チップを貰うまで梃でも動かないぞとその直立不動の姿勢が語っていた。
 部屋に入ってみるとこれはまたかなりあちこちが傷みきしんだ五つ星であった。例えば電気スタンドが付かないので調べてみると、コードが途中で切れていたり、壁に大きな穴が開いていたりする。ポーターがスーツケースを届けるまでにまだかなり時間がかかるだろうから、それまでに着替えはないが、眠る時間の確保のためにと早速風呂に入り、ちょうど風呂から上がったところにポーターが荷物を持って部屋の中まで踏み込んで来て、チップを出すまで動こうとしないのである。こちらが生まれたまんまの裸だったこともあり、この無礼さにはいたく立腹した。しかし丸裸での怒りには威厳というものが完全に欠落していた。
 翌朝改めて我々の宿泊したホテルを見た。その堂々たる外観はあたりを圧して聳え立ち、まさに五つ星の貫禄を示していた。

2、ラクシュミー・ナーラーヤン寺院
 観光はまず最初にオールド・デリーのヒンズー教のラクシュミー・ナーラーヤン寺院から始まる。鮮やかな色彩の近代的な建築で、ビルラ財閥が寄進したものだから、一名ビルラ寺院とも言うらしい。ヒンズー教は典型的な多神教でその神々の系譜は複雑奇怪、とても整然とは理解しかねるのだが、シヴァを主神とする派とヴィシヌを主神とする派に分かれている。この寺院はラクシュミー(ヴィシュヌの妃)とナーラヤーン(ヴィシュヌの別名)を主神として祀ってあるのだから、当然ヴィシュヌ系寺院ということになるのだが、不思議なことにシヴァ系のシヴァ神、シヴァの妃ドゥルガー神、シヴァの息子ガーネーシャ神などの像が祀られている。私の学習してきたヒンズー教の知識はたちまち混乱する。しかし無宗教の私にはそういう宗教の教義やら派閥など実はどうでもよいことで、ともかくこの華やいだ雰囲気が心地よく、もっぱら観光的に浮かれて、インド人に混じって朝のお祈りの印に額に赤い粉を付けて貰う。観光客が信仰を遊びにして、ちょっとはしやぎ過ぎだと後で少し反省する。私は早くもミーハー観光族になってしまったようだ。仕方がない、当分、この路線で行くか。

3、チャンドニーチョウク(写真はリクシャーに乗ってチャンドニーチョウクを行く)
 次にバスはラールキラーに向かう。ラールキラーは赤い城という意味だという。赤い砂岩で築かれた城壁が延々と続く。私たちがその巨大な城壁に見とれていると、前の広場からリクシャーの群れがこちらに向かって殺到する。何か殺気すら感じられる勢いで、見ているとちょっと身が引ける感じになる。何ごとかと驚いていると、それは私たちを乗せてチャンドニーチョウクを見せてくれるリクシャーだという。私は一度このリクシャーに乗ってみたかったし、デリー最大のバザール、チャンドニーチョウクも一目観ておきたかったのである。それが一挙に実現するのである。もうラールキラーなどどうでもよくなって、私たちもリクシャーに殺到する。インド名物のリクシャーなるものは人力車から発したものに違いなく、つまり自転車が引く人力車である。乗り心地は極めて悪い。スプリングの利いていないガタピシ車を力任せに漕ぐものだから、ガタガタと揺れて振り落とされそうになる。写真を撮るどころない。平安時代の牛車とは言わないが、もっとゆっくりとやって貰えないかね。それでもチャンドニーチョウクは素晴らしかったよ。それは広い道路の両側に広がる市場で、道はさまざまな車の雑踏で混雑し、商品は所狭しと路上にまで溢れ、そこに人が群がり溢れているさまは、全てが混在するインドの現状の象徴のようで、リクシャーの上から見ているのがもどかしく、ツアー旅行の悲しさ、途中下車して歩けないのは残念だったけど、これは予定に入っていないサービスだから、私たちは大満足だった。

4、ラージ・カート(写真は蛇使い)
 バスはラージ・カートに向かう。ガンジーを荼毘に付した跡をガンジーを偲ぶ記念の聖所としたのである。ガンジーの遺灰はガンジスに流されたので、彼の墓はない。墓がないということの簡潔さ、遺骨がないということの簡潔さに私は感動する。仏教の死にまつわる儀式の繁雑さ、猥雑さ、やれ葬式だ、香典だ、お返しだ、戒名だ、墓石だというのに私はうんざりしている。自分の死の後始末はヒンズー的簡潔さでやりたいものだとつくずくと思う。日本の葬式仏教のお世話になるまいと思っている。ラージ・ガートは広い敷地に正方形の黒い大理石が置かれていて、大木が一本植えられていた。
 ラージ・カートからバスに帰る道端に蛇使いがいる。インドの蛇使いは大道芸人ではなく、観光客に写真を撮らせて、その撮影料を取るのである。蛇使いだけでなく熊使いなどもいる。妻があれを記念写真に撮ろうという。彼女も相当な観光ミーハーに仕上がって来たようだ。早速ガイドのガイドのチャブラーさんに値段を聞いて見る。十ルピー(30円)だというので、チャブラーさんにシャッターを押して貰う。撮影の途中で蛇使い氏は私の首に錦蛇を巻き付けながら、「百ルーピー、百ルピー」と囁く。それは困るよ、私は写真用の笑顔を崩さないで聞こえないふりをする。彼は私の首に巻き付けた蛇を手で掴めという。幸い私は蛇はこわくない。彼は「百ルピー、百ルピー」としきりに囁く。でも彼の作戦は間違っている。財布は妻が持っているのだ。撮影が終わって、何も知らない彼女は十ルピー支払って平然としている。蛇使い氏は何も言わずにそれを受け取る。

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