2ページ
4、ハイデルベルク (写真はハイデルベルク旧市街から古城を望む)
その夜はハイデルベルクに泊まる。夕食前にハイデルベルクの街を散策する。ハイデルベルク城はライン河畔の古城よりはるかに大きく、壁面しか残っていない廃城であるが、廃墟の魅力ー崩れて行くものと崩れに抗するものとの拮抗が作り出すあの廃墟の魅惑的な情趣を漂わせてネッカー河畔の小高い丘に聳えている。どこから見ても見栄えのする城で、ネッカー河にかかるカール・テオドール橋からの眺めは名高い。観光客は観光の名所を侮ってはならない。ここで記念写真をパチリ。丘を下りて落ち着いた中世的情趣を残すハイデルベルク旧市街を歩いて、ドイツで最も古いと言われるハイデルベルク大学を見る。大学はキャンパスを持たず、街の中に散在していた。私が学生の頃「ハイデルベルグの学び舎の 夢多き日の思い出を」という歌がよく歌われていたが、あれはここのことだったのかと、いくぶん青春の日を懐かしむような気持ちになる。
5、ローテンベルク(写真上はローテンベルク市街)(写真下は時計の両脇の窓が開いて人形が出てくる)
翌日ローマへの道という原義を持つロマンチック街道を下り中世の宝石箱といわれるローテンベルクを見る。歩きにくい中世の石畳の道を散策する。メルヘン仕立ての見事な色彩の家並みが美しく、家々の窓に飾られた花が鮮やかだ。ドイツ人は家を大切にし、窓は何時もピカピカに磨き上げられている。窓が汚れていると近所からクレームがつくという。ローテンブルクの家の窓枠は低く人の腰ほどの高さである。その窓枠に人々が腰を下ろして休んでいる。日本人は自分の家の窓によその人が座ったりしたらきっと怒るに違いない。ヨーロッパではどうも家の外側は自分のものではなく、社会に属するものと考えているようだ。誰が座っても怒らない。洗濯物は外に干さない。電線は地中に埋めて電柱は立てない。街の美観を作り上げるについてヨーロッパ人は実にストイックである。
ローテンブルクの中央の市庁舎前のマルクト広場にマイスター・トゥルンクという仕掛け時計があり、毎時正時に人形が出てくるのが見落とせぬ観光ポイントだというので、我々もその時を待ち受けた。さて十三時、時計台の窓が二つ開き、二人の人形が姿を見せる。何をするかと待ち受けるが、一向に何ごともする様子がない。私はカメラを構えてシャッターチャンスを伺うが、な
にか人形が動いたらしいと思うとやがて扉が閉まってしまった。私は呆気にとられて何が何だか分からなかった。見上げていた日本人は一斉に「なにー?」とどよめく。大勢の人形が派手なアクションを繰り広げる仕掛け時計を見慣れている日本人にはそのあまりに古風な仕掛けにただ呆れてしまったのだ。私は仕方なしに扉の閉まった時計台に向かってシャッターを切った。帰って数日後、写真が出来上がり、友人夫妻にその写真を説明していた妻が、これはカトリック軍に包囲されたときカトリック軍のローマの将軍が「ブドウ酒三・二五リットルを一気飲みしたら街を攻撃するのをやめる」という講和の条件を出したとき、時の市長が見事飲み干してローテンブルク市を救った記念の仕掛け時計だといっているではないか。私はその時始めて仕掛け時計の意味が分かった。そうか、あの人形は市長マイスター・トゥルンクで、あれは一気飲みをしたのであったのか。それでは、あの人形が動いた時がシャッターチャンスだったのか。私は大急ぎで撮り損なった場面を復元する。人形がジョッキを手に持ってぐいっと傾ける見なかったはずのデテールまできっちりと復元してしまうのは恐ろしい。
ドイツの三日間の食事はどのレストランも判で押したように同じメニューなのには驚いた。まあそれはいいのだが、日本では当然のサービスとして出てくる水がないのだ。食事ごとに飲み物を注文しなければならないのだが、アルコールが駄目な私は何時も水ばかり飲んでいた。生水は飲めないというので、エイビアンとかヴィッテルとかいうガス抜きの水を買う。これが結構高くて、ビールよりもブドウ酒よりも高い。それに食事のたびにそんな水ばかり飲んでいるとさすがにうんざりする。割りに脂っぽくて塩辛い料理に水とは誠に情けない。アルコール拒否症の私もミュンヘンのビアホールではなんだかもう我慢ならないという気持ちになる。無性にビールが飲みたくなり、思いきって注文してみる。ところがその美味しいこと。かくて私はビールが飲めるようになる。狐憑きから狐が落ちるように、私からアルコール過敏性がこぼれ落ちる。小さなコップ半杯に過ぎないのだが、旅行三日目にして早くも私の細胞に異変が起こったのであろうか。そう言えば、日本では疲れ易くて何時もぐったりしている私がヨーロッパに入ってからは、妙に元気で、体の芯のところからふつふつと力が沸いてくるように感じられるのだ。ひょっとしたらヨーロッパの風土が肌に合っているのかもしれない。そいえば朝から食が進む。ジュースにミルクにコーヒーに二種類のパン。とにかく美味しい。
5、ノイシュヴァンシュタイン城
ロマンチック街道のハイライト、ルードヴィヒ二世の築いたノイシュヴァンシュタイン城は訳せば新白鳥城という意味になるらしいが、山の中腹に聳える城はその名の通りその形姿は誠に優美にして華麗、世界にこれにまさる城はあるまいと思われる。これをしもメルヘンチックと言うのであろう。城の裏側の谷間にマリエン橋というのがあり、そこからの眺めが素晴らしい。ところが帰りの土産物店で見た絵葉書の方がもっといいのだ。それはどうも航空写真のようで、いわば肉眼を超えた一種架空の視点からの眺望で、この世のものとも思えぬ美しい姿をしていた。絵葉書が現実を超えるというのはちょっと不愉快だが、一枚買った。この優美な城を見るにつけ、日本の近世大名たちが築いた城はどうしてあのように華がないのか。外観の無愛想はともかくとして内部のあの貧相なたたずまいは何ごとであろうと思わず比較してしまう。この芸術とやらに取り憑かれたルードヴィヒ二世という蕩児は凝りに凝って自分の夢の実現に17年の歳月と巨大な富を蕩尽してやまなかった。外観の優美はさることながら、内部の装飾に贅を尽くして飽くことがなかった。今も残る彼の寝室は寸分の隙間もなくきらびやかな装飾で埋め尽くして贅美の極致を現出していた。それは人間の欲望の果てしなさを具現して見せたとも言えた。このようなものに憑かれた人間が十全な生を全うできるはずがなかった。このバイエルンという小国の国王は自分の身の丈に合わない巨大な夢に挑んで破滅した。このような寝室で私なら悪夢にうなされて一夜も安眠できないであろう。観光はともかくとして、やはり住むとすれば、日本の城の薄暗い貧寒たる空間の方を選ぶかなどと、思わぬところで自分のお里を暴露してしまう。
次のページへ