有島武郎論 『或る女』を中心に
国民文学論もずいぶん下火になりましたが、ぼくらの文学の課題は、やはり如何にして国民文学を創りだしてゆくかということではなかろうか。では近代文学がどうして国民文学になり得なかったかを考えてみるに近代文学が確立する自然主義に国民文学たり得ない根本的な欠陥があったのではなかろうか。丸山静氏が指摘している如く、自然主義は「半ドレイに外ならぬ自己をいちはやく純粋な『近代人』として過大に自覚する」こと、つまり、近代リアリズム文学にとって基本的モメントである自己批判を喪失することで確立するわけです。それ故に、近代社会の散文性、とくに上からの近代化によってきびしく政策的である日本の現実に対しては、自然主義の自己肯定の上に立つ生温いヒューマニズムはしょせん無力である外なかったのです。この政策的、機構的現実に対しては、フィクションという非情な方法をもってしか、その散文性を克服し、「典型」を造形することはできないのでなかろうか。国民文学とは、この近代リアリズムを継承しさらに克服してゆくことなしには創造できないのではなかろうか。とすれば、今なお強固に生き残っている自然主義文学の伝統を否定してゆくためには近代リアリズムの文学伝統を探り出さねばならない。できればこのような見地から、有島文学におけるリアリズムの構造を「或る女のグリンプス」から「或る女」への発展と挫折の中で探ってみたいと思います。
有島文学におけるリアリズムを考える上に彼の文学的出発点である「かんかん虫」を無視することはできません。明治三十八年、キリスト教徒としてさまざまな疑惑を抱いてアメリカに渡り、その疑惑をつきつめて社会主義へ近づく思想的変革と、トルストイ、イブセン、ゴーリキ、ツルゲネーフというロシア・北欧の批判的リアリズムから学んだ文学方法をもって直接にはゴーリキを手本として「かんかん虫」が書かれます。かかる批判的リアリズムの純粋培養によって、彼のリアリズムは一応基礎づけられます。
明治四十年、三年間の留学生活を終えて帰国しますが、彼を待ちうけていた日本の社会は、彼のヨーロッパ的伝統の中で形成された近代的自覚をそのまま受け入れるほど豊かではなかった。彼は従ってさまざまな桎梏にぶつかって苦しみますが、例えば、教会との問題にしても、彼自身信仰を捨てているのに、彼を待ちうけていた教会は、彼をその中心人物に祭りあげてしまいます。その中へずるずる引き込まれてゆく自分の弱さへの屈辱感と結局そうした人々から身をもぎはなさねばならぬ孤独な行為の中で、自己の生きる道を探さねばならなかったのです。かくて彼は、ますます深くヨーロッパ文学の中へふみ込み、その中から彼がつかみとったテーマが彼の生活のテーマとなり、彼の文学のテーマへと転化されてゆきます。この彼の生活と文学をかけた孤独なたたかいの中でこそ、「或る女のグリンプス」の素材を探し出し、一人の近代女性佐々木信子にあのように肉迫し得、彼女をヒロイン葉子にまで転化することかできたのです。つまり、アメリカ市民社会と批判的リアリズムの中で培った彼の近代的自我は、日本の現実の前でその存在をおびやかされるのです。そこで彼は、日本において近代的自我は果して可能かという間題にぶつかるのですが、これは日本の近代にとっても当然問わるべき基本的な問題であったのです。イブセンなどを骨子とする彼の反逆的自我意識は非常にラディカルな形でこの問題をおし出します。そして又、そのようなラディカルなテーマによってこそ一人の女を捉え得たのであり、また、一人の女性を捉えることによって、彼はもう一歩深く日本固有の矛盾に迫り得たのです。何故なら当時の女性は封建制の深い桎梏のもとに、男性の隷属の下につながれていたから、女性の近代的自我の可能を追求するためには、上からの近代化による二重の桎梏をつきぬけねばならなかったからです。そしてこのテーマこそ、二重の桎梏にあえぐ全女性の生き方にかかわる問題であり、従ってこのテーマの重さをうけとめるためには、全女性の生き方を含め込んでゆくような文学方法、つまり、典型を構成するリアリズムの文学方法が要求されるのです。このように、如何に生くべきかという彼自身のモチーフが、時代のモチーフに重なることで、「かんかん虫」の文学方法は新たなリアリズムの方法へ飛躍してゆくのです。
かくて「或る女のグリンプス」は、作者の自我の社会との対決をその基本構造とし、ヒロイン葉子は、作者の批判の肉体化に外ならない。それ故、作者がするどく批判的であればあるほど、葉子の行動がラディカルになるという関係において、葉子は形象されます。つまり、イブセンなどに媒介されたきびしい社会批判によって構成されるフィクションは現実の矛盾を集中的に表現するシチュエーションを獲得し、そのシチュエーションとのかっとうによって、葉子の行動が展開されます。葉子は、隙さえあれば彼女を「昔のままの女」としてふみつけようとする社会、反抗することなしには自己の人間性が保証されないという苛酷な状況の中で、屈することなくたたかいつづけます。圧迫が烈しければ烈しいほど、葉子はその「鋭い才能と激しい情緒」なかんずく「優れた肉体を武器」にして、一層ラディカルにそれを撥ねかえしてゆこうとします。このような近代的自我をつらぬこうとする行動によって葉子は、彼女を圧迫する者達の醜さ卑劣さをあばき、また自己の社会的本質を認識しながら、より本質的な矛盾へ近づいてゆきます。この力強いリアリステックな追求の果てに、葉子は、「男は女が少しでも自分で立ち上ろうとすると、打って変って恐ろしい暴君になり上るのだ。女までがおめおめと男の手伝いをしている」というように、女性の近代的自我をつらぬこうとすれば、男と対立するだけでなく、女性一般からすら孤立せねばならず、しかも「葉子は生の喜びの源をまかり違えば、生そのものを蝕む男というものに求めずにはいられないディレンマに陥ってしまった」と彼女は、自我と愛のディレンマにつき当ります。この自我と愛とがするどく対立的であるというディレンマこそ、近代社会における人間関係の基本的矛盾ではなかろうか。
肉体を武器としての自我のたたかいが、社会の基本構造にふれるような矛盾につき当ったとすれば、この矛盾を克服してゆくためには、もはや肉体だけではどうすることもできないのではなかろうか。ではどうすればいいのかという葉子のたたかいが、新たな次元へ向って飛躍してゆかなくてはならない地点で「葉子はひそかに芸者をうらやみもした。日本で女が女らしく生きているのは、芸者だけではないかとさえ思った」とか、「才能と力量さえあれば、女でも男の手を借りずに自分を周りの人に認めさす事のできる生活があるに違いない」と芸者やアメリカ市民社会を夢みる以上に出ることができないのです。葉子を通して社会矛盾をこのようにつきつめながら、作者はやはり葉子を規定している社会機構の把握へ進めないのです。それ故、葉子を新しいたたかいの場におし出して行くことができないままに、なおも肉体を殆んど唯一の手がかりとして、倉地との恋へつき進ますことで、葉子の自我のありかを検証しようとします。しかし殆んど機構的なものにふれ合う次元では、肉体だけではもはや生を全面的に展開することが不可能なのですが、なおも強引に肉体をかけて自我をつらぬこうとします。しかし、その強引な行動の中で、葉子は自我をつらぬこうとすればするほど逆に倉地への隷属を深めてゆかざるを得ない矛盾におちいります。かくて自我と愛とを統一してゆく方向・典型創造のモメントを見失い、「或る女のグリンプス」は書きつぐことかできなくなります。
葉子という極めてラディカルな個性を典型へ高めてゆく最も大切な場所で、有島はやはりつまずいたのです。イブセンなどの批判的リアリズムに媒介されて、日本の現実ときびしく対決しつつ作品を書いたのですが、彼のぶつかった現実は冬の時代に突入した極めて政策的な現実であり、意外に因襲的で彼の自我を逆にひき歪めてしまう呪咀的な規定力をもっていたのです。「食うに困らない」境遇の上につみ上げられたヨーロッパ的自我は、このきびしい機構に耐えて、それを克服してゆくモメントをさぐり出せなかった、そこに「或る女のグリンプス」の挫折があったのです。
この行詰りを打開しようとする努力の中から、彼はホイットマンをひき出してきます。ホイットマンこそ、彼のリアリズムの系譜とは殆んど対蹠的な存在、いわば後進国の批判的リアリズムに対し、植民地の自己主張の文学であったのです。従ってそれは近代以前ともいうべき原始的・本源的健康さに輝いていたのですが、有島にとっては確実にキリスト教的なものへの回帰として働きます。かくて彼は「内部生活の現象」を書きます。それは、因襲的な「外部」に規定される自己を「偽善者」として断罪し、その「偽善」を克服するために一切の「外部」を拒絶し、ひたすら「内部」の欲求にのみに忠実であろうとしたものであり、いわば「汝の欲するところをなせ」というブルジョワ個人主義の宣言に外ならなかったのです。しかし、如何に烈しく「汝の欲するところをなせ」という形で自我の主張をおし出しても、それが何らか具体的モメントに媒介されない限り、現実においては無力である外なかったのです。かくて、如何に生くべきかの人生論的追求の帰結として、「惜しみなく愛は奪う」(初稿)の「本能」の発見となります。ここに「本能」という人間の内面的モメントが新たに自我実現の武器としてとりだされてくるわけです。日本の現実にぶつかることで、彼もまたリアリズムの次元から自然主義の次元へ後退しなくてはならなかったのです。しかし、日本自然主義の本能は、自己の近代性を証明するための用具となり、従って封建的モラルにぶつかることで精神主義的なベールを被らねばならなかったのですが、有島の「本能」は、自己の「偽善」という悪を克服し、あくまで自我を実現してゆく手がかりとしてとり出されたものであり、そのような烈しい要求をになわされた「本能」は、自然主義の本能の次元にとどまることができず、「奪う力」というアクセントをつけられ、極めてラディカルな形をとらざるを得なかったのです。そしてまた、彼の「本能」のそのような積極性が「カインの末裔」以下の作品を生んでゆく力ともなるのです。
「カインの末裔」は、彼自身の「偽善」の克服による自我の主張という自己変革をモチーフとしながら、それが民衆のたたかいに結びつけられねばならなかったところに、彼のリアリズムの性格がある。つまり、彼自身は「偽善者」として否定し去らねばならぬ存在であり、実現すべき自我の理想はつねにたたかいとらるべきものとして、彼の前にあった。ここに現実と理想を媒介する論理としてのフィクションが、彼の文学にとって必然の方法となります。しかし、この場合、フィクションを支えるものが彼自身の「偽善」の克服という人格主義的限界の故に、本能のエネルギーが殆んど階級のエネルギーとして取り出されながら、主人公仁右衛門の行動は、真の階級的反抗へ飛躍できず、盲目的反抗に終らざるを得ないのです。
以上の如く、「カインの末裔」はフィクションを必然的な方法とすることで、自然主義文学と一線をかくす批判性を持ちながら、そのフィクションが社会との対決によって獲得されたものでなく、もっぱら自己自身への対決によって保証されているところに、リアリズム文学として、「或る女のグリンプス」からは一歩の後退に外ならなかったのです。かように、自己との対決のきびしさによって健康性を保っていた本能はしかし、その対決のきびしさを失うと「石にひしがれた雑草」のごとく歪んだ性そのものへの関心へ屈折し、自我実現のモメントから自我をつき崩すモメントへ転落せざるを得なかったのです。これはまた、当時の社会現実が本能というような人間の内面的モメントだけではどうすることもできないところまで行きつつあったことにもよるのです。
冬の時代を通し着々と支配機構を強化してゆく支配階級と、一方それをはねかえしてゆく民衆の力とが烈しく対立し、抗争しながら、十月革命、大戦後のデモクラシーの波などを契機として、やがて民衆の力は冬の時代の壁を破って米騒動となって爆発します。この現実の泡立ちの中で、文学もまたそれに対決し、そのたたかいに参加し、それを形象する新しい方法をうち立てることが要求されます。このプロレタリア文学前々夜ともいうべき現実の泡立ちの中で、「石にひしがれた雑草」の本能の不毛化へ傾斜していた有島もまた、自己の文学の再検討を強いられたはずです。しかし、その前に一ブルジョワ農場主であった彼は、自己の存在そのものの再検討を強いられるのです。かくて「武者小路兄へ」を書いて農場解放の決意を表明するのですが、再び、「惜しみなく愛は奪う」の自己中心主義=ブルジョワ個人主義へひきもどされ、「本能」の立場を再認識することで、この現実に対拠しようとします。ブルジョワ農場主である彼は、農場を放棄する方向へ進むことでしか民衆につながることができなかったのですが、その方向へふみ切ることができず、「食うに困らない」生活に居直ることで、自己中心主義に生きようとするのです。そのとき、彼自身すでに民衆にとって敵対的な存在に外ならず、従ってその自己中心主義を支える本能は、反歴史的性格を帯びざるを得なかったのです。このように民衆の高揚期に、民衆と自己との関係を新しく設定し直せなかったとすれば、彼の以後の路線は「惜しみなく愛は奪う」”初稿”よりその”完稿”の自我の我執へまっすぐつきぬけて行く外なかったのです。つまり、「外部」が冬の時代のように「内部」を限定する圧力だけでなく、それに規定し直されることで「内部」と「外部」が統一されうる可能性が形成されつつあったのです。このような状況の中で、「内部」への我執によって「外部」現実を拒絶することは、同時に、「或る女のグリンプス」の葉子の自我を新たに展開する歴史的・社会的条件の拒絶であり、そのようなリアリズムへの可能性の否定に外ならなかったのです。
こうして「内部」へ追いつめられてゆく中で、彼は「畏れることなく醜にも邪にもぶつかってみよう。その底に何もなかったら、人生の可能は否定されなければならない。」と自らの存在そのものを確かめなくてはならなかったのです。「或る女」はこうして追いつめられる中で、必死の血路を求めて書き始められるのです。彼の人生の可能を本能にかけて、自己の文学の可能をたたかいとろうとするのです。この作品にはりつめられているはげしい緊張感は、このような状況におかれた作家の緊張感に外ならない。
「或る女」は「或の女のグリンプス」をその前篇の骨格として、「カインの末裔」以来の豊かな形象力でもって、葉子に有島自身の生き方をかけて、とにかく彼の全文学エネルギーをかけての追求でした。
大正五年三月の日記に「エリスの性心理の研究読了、余は『或る女のグリンプス』の改作に有用な諸点を獲た」と書いているが、ここですでに葉子を性心理の側面からつかみ直そうとする意図がみえます。そして、「石にひしがれた雑草」を経ての本能の固定化と共に、そのような葉子の把握は完成したものと思われます。前篇において、木村宛の手紙の中で古藤は葉子について、「明白に云うとぼくはああいう人は一番きらいだけど、又一番ひきつけられる。僕はこの矛盾を解きほぐしてみたくて堪らないと」書いています。前篇において確かに作者は葉子を明確に把握していない。葉子に惹かれ反撥しつつまた惹きつけられ、ふりはなされながら、必死に葉子に喰い下っている。しかしそのような葉子への生身の肉迫の中でこそ、前篇の葉子をあのように生き生きと形象し得たのではなかったろうか。しかし作者は葉子のどこが把握できなかったのか、前にも述べたごとく葉子を規定している社会機構が把握できなかったのではないのか。とすれば葉子のこの社会的規定性の追求こそ、葉子の把握への唯一の道であり、そしてそれこそ、リアリズムへの道ではなかったのか。
しかし、大正三年三月放棄から大正九年三月に筆をとるまで、葉子の把握はそのような社会的規定性の追求の方向へは進まずに、性本能の側面から把握し直されます。こうして「或る女のグリンプス」のリアリズムの構造は弱められ、自然主義的路線が決定されるのです。
このような葉子の把握が強固になれば強固になるほど、作者は葉子の中へのめり込み、葉子の道は外側から決定されます。「或る女のグリンプス」を三年間書きあぐんで、ついに放棄せざるを得なかったような困難はもはやない。「或る女」が一カ月で書きあげられたとしても別に不思議はないわけです。
この「或る女」の葉子に対し、古藤が批判者としてあるというようなことは殆んど意味がない。何故なら葉子は、古藤の批判など一方的に切りすてざるを得ないシチュエーションに立っているからです。そのシチュエーションを支えているのは、作者の我執に裏づけられた本能に外ならない。
後篇二十三章からは、葉子は、木村という社会との「最後の和睦」点をふみにじることで、事実上社会から葬り去られます。倉地もこの事件のために職を奪われます。しかし、そのことが彼らの危機としてでなく、社会から隔絶した逃避場を設定することで、二人だけの結束を強めるためのシチュエーションの設定としてのみうけとめられます。こうして社会から葬り去られるという形で、社会との対決を放棄したシチュエーションの中で、二人の烈しい性愛を追求します。しかもこのシチュエーションの中では、肉体は自我をたたかいとる現実への対決を失い、現実からの圧迫を逆にその耽溺の中へ埋める場所となる。かくて現実からの圧迫がはげしくなればなるほど、葉子の肉体は破綻して行かざるを得ないのです。「子宮後屈症と子宮内膜炎」によるヒステリーがその結果であり、また有島の光栄ある本能の最後の姿でもあったのです。
しかし、如何にはげしく性愛を追求しようとも、それのみでは作品を展開することができない。社会との対決を拒絶したシチュエーションの中へは、葉子を社会との対決へかりたてて行くモメントを導入できないとすれば、葉子の肉親達と近しい人々を集める外ないのです。しかも彼らは、葉子の再生のモメントにはなり得ず、「葉子には自分の鬱憤をもらす為の対象が是非一つ必要になってきた」という虐待の対象となる。かくて倉地への決定的な隷属とヒステリックな嫉妬、それ故の妹達への嫉妬と虐待の中で、葉子は「卑怯者が憤怒すれば、刃を抽いてもっと弱い者に向って行く」という魯迅のドレイ的存在の権化となる。にもかかわらず、そのような葉子のドレイ性を照らし出せず、その葉子の行動を本能によって、自我のたたかいに生きるものとしてヒロイックにおしだして行くところに、有島のリアリズムの決定的な敗北があった。「かんかん虫」において、むしろ自己の弱さ故に、その弱さを強引にねじふせるような形で、アナーキーな反抗へつき進む「復讐」ともいうべきもの、それ以後もつねに彼のリアリズムの盲点として巣くってきた半ドレイ性が、この「邪をも醜をも」出し切ったあがきの中で、ついに彼のリアリズムそのものを否定し去るのです。歴史的現実から孤立し、もはや積極的に人生を打破するめどを失った人間の追いつめられてゆくあがきの中で、彼のリアリズムによっても、照らし出せなかった彼の深い病巣が拡大され、彼をのみ込むのです。そしてそのような場所でなお、自我に我執し、本能に固執することで、自己自身を最後までつきつめようとする客観的追求は、その焦点に死を結ばざるを得なかったのです。かくて葉子は、あらゆるものを破滅へのモメントとすることで、破滅へ向って、ひたすら作者の全エネルギーをかけて追いつめられて行くのです。
「人生の可能」を本能にかけた「或る女」という彼の全文学エネルギーをかけたたたかいも、本能が外部現実への対決の姿勢を失って内部に閉ざされて行く中で、本能そのものが「人生の可能」を否定するモメントに変質します。それはとりも直さず有島文学の敗北に外ならなかったのです。にもかかわらず、彼は、崩れ行く本能にしがみつき、その不毛の思想を組みたて直すことで、自己の立脚点を守ろうとします。かくて、ホイットマンへの傾倒に始まる彼の人生論の総決算として「惜しみなく愛は奪う」(完稿)を書きあげます。このホイットマンの「ローファー」とベルグソンの「生の哲学」を二本の支柱とする人生論は、「或る女」のリアリズムの挫折の逆証明でもあったのです。その思想を簡単に説明しますと、「内部」と「外部」という対立する「二元の世界」を「外部」を「内部」に奪いとることで「一元の世界」に統一しようとするわけです。「二元の世界」とは「本能的生活」の支配する理想的世界であり、「無対立・無努力」の世界です。これはつまり、民衆の泡立ち始める歴史的現実にその存在をおびやかされたブルジョワ個人主義が、その現実を否定することで、自己を無限の意識の世界へ解放しようとしたのです。民衆の規定力と細織力に対抗するために、エラン・ビィータルの観念的な拡張力によって自己を無限の空間へ拡散するのです。かくて規定性をはずされ、「外部」を奪いとることで拡張し始める個性は、「その世界の持つ飽くなき拡充性が、これまでの私の習慣を破り、生活を変え、遂には私の弱いはかない肉体を打壊するのだ。破裂してしまうのだ」というように「時間の空間さえも撥無する」ことによって、その焦点に破滅と死を結ばざるを得なかったのです。この主観の拡張のエネルギーは「或る女」の後篇をつらぬいているエネルギーに外ならず、追いつめられた者の最後のあがきであり、しょせん、それは死に行きつく外なかったのです。
ともかく「或る女」は、本能の不毛性の証明であり、彼の文学を再建するためには、この不毛の本能を否定し、新しいモメントを探らねばならなかったのですが、彼は逆に、「惜しみなく愛は奪う」を書いて、この不毛の本能を再構成しようとしたのです。しかしなおもおし寄せてくる現実の泡立ちの中で、この本能も崩れ去らざるを得ず、また崩れ去ることで彼の文学再建の努力が始まるのです。「星座」・「宣言一つ」から「農場開放」、最後の「骨」に至るまで自己と文学の再建へあがき続けますが、ついにリアリズムを回復できないままに、大正十二年、プロレタリア文学の前夜ともいうべき騒然たる時代に自ら命をたちます。
以上述べた如く、有島の文学もまた近代自我の文学の範疇に属し、その点で日本主流文学の流れに重なります。しかし主流文学が自然主義から私小説を結ぶ自己肯定の文学であるのに対し、彼の文学は自己批判の文学であり、それ故に近代リアリズムの方法を獲得することができたのです。むろん彼の文学は、その「復響」という半ドレイ性を克服できない自己批判の限界を持ちつつも、日本近代のリアリズムの最も強固な構造を持つことができたのです。そのリアリズムもああいう形で敗北して行かざるを得なかったのですが、続くプロレタリア文学も、それ以後の文学も、この敗北を真に克服できなかったのではなかろうか。とすれば、ぼくらはこの敗北から出発し、敗北を勝利にきりかえして行くモメント、つまり、新たなリアリズムの方法を探らねばならない。ともかく有島のリアリズムを一支点として、自然主義文学以来の自己肯定の文学伝統を否定し、新たなリアリズムを創造して行かなくてはならないのではなかろうか。
・この原稿は、五月の国語国文学会での卒論発表のを使わせてもらいました。
(本学国文科卒業生)
有島武郎(明11―大12)
初出 | 『國文論叢』第7号(神戸大学国語国文学会) | 1958年12月 |
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