帰鳥伝説 連作詩
帰鳥伝説
その1
鳥たちが帰ってきた日
すでに森は消え失せていた
鳥たちが自分の巣の高さに見たのは
林立する団地の窓だった
窓の中の人間たちは
往古の樹上生活よりはるかの高みで
いっそう醜悪な宙づりの姿勢で
ひっそりと生きていた
帰ってきた鳥たちは
産卵の場所を求めて空しく飛びつづけた
かつてのすみかが見つからないので
いつまでも空にただよっていた
夕焼けが真紅に空を染めるときだけ
団地のシルエットは色あせて
そこが鳥たちの故郷であったことを
思い出させた
もう人間は死後
鳥の形をしてさまようことを忘れていた
それは鳥形霊と呼ばれ
ヤマトタケルも白鳥と化して天翔ったという
だから故郷を失ったのは
鳥たちだけではなかった
人間の祖霊たちも
空に行きくれていた
巨大な高層団地に侵蝕された空を
きょうも飛びつづける鳥たちの体内で
産み落とされないまま
卵はすでに腐乱しはじめていた
その2
少女が生まれたとき
もう空には鳥がいなかった
彼女はその長い不眠の夜
夢の古層に鳥の化石を掘り当てた
化石の中で
鳥は羽を拡げていた
鳥は軽いので
石となっても空に浮こうとした
世の中を憂しとやさしと思へども
飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
化石の中から
遠い昔の詩人の声がこだました
少女は化石を集めては
鳥をよみがえらせようとした
親鳥が雛をかえすように
彼女は化石を暖めていた
イカロス
舌切り雀
比翼の鳥
フェニックス
(大鵬という相撲鳥は空を飛んだのかしら)
ある日とうとう
化石から伝説の鳥が巣立ったのだ
鳥はぎこちなく羽を拡げて
少女の空をはばたいた
その日から
少女は人間であることを拒んで食を絶った
彼女はしだいに軽くなり
ついに空に浮かんでしまった
少女は羽ばたくすべを知らなかったので
軌道で塞がれた空に
あぶなっかしい恰好で
浮かんでいるだけだった
その3
かつてこの一帯は尾根や谷の入り組んだ丘陵
鳥たちの巨大なねぐらだった
一日の終り
夕焼けの空に大きな弧を描いて
鳥たちは帰ってきた
鳥たちの夢の王国
その山並みを削って
人は巨大団地をつくりあげた
一日の終わり
地下鉄のトンネルを通って
人々はひっそりと帰ってきた
人間のドリームランド
人々が寝静まり
夢があたり一帯に立ちこめるころ
夜の静謐の底で
ミシリ ミシリ キーンと
団地は乾いた音を立てて
人間の夢をきしませた
目覚めた人々が聞き耳を立てると
音はいつも哀しい余韻を残して
空へのぼっていった
住民は不安に駆られて
異音連絡会議を作り
建設業者と交渉した
会議は延々と続いたが
原因は不明のままだった
夜になると
山はもとの高さを取り戻そうと
身じろぎするのだという
実際 山は団地を載せたまま
少しずつ隆起して
もとの姿へ復元していく
鳥たちの夢のなかのあの山容
その4
鳥たちはどこへ行ったのか
山を削った人工都市
完全舗装の土のない街を
鳥たちの不在の空が覆っていた
削り取られた土は
海へ運ばれて人工島になったという
鳥は土とともに
そこへ移り住んだのであろうか
鳥たちのなじみの土
その土が育てた樹木の枝に
昔ながらの巣をかけて
ひなを育てているのであろうか
ある日
私は土が運ばれたという道を通って
その島へ渡ってみた
海上に聳立つコンテナ基地
幾多の船影をまとわせた海上都市の
弧を描いて巡る回廊道路を
車は風のように流れていた
はるかに打ちつづく街路樹のどの枝にも
鳥たちの姿は見当らなかった
白い波頭の砕けるコンクリートのどの岸辺にも
鳥たちの姿は見当らなかった
削られた山と埋め立てられた島は
海を隔てて向き合っていたが
鳥たちが海を渡って飛翔するのを
見たものは誰もなかった
山を消し島を創った
現代の国生み神話の語り部たちの耳にも
山を追われた鳥たちのニュースは
まだ届いていないという
ただ夜になると
人工都市を載せたまま
もとの高さへ隆起して行く山と
海上都市もろとも海へ陥没して行く島の
ひそかなどよめきが伝わってくるという
その5
かつてこの一帯は青垣山
空を埋め尽したおびただしい
鳥群の基地
人々はその緑なす鳥の棲を
荒涼たる一面の岩の舞台
ニュータウン建設用地にしてしまった
人々は流入しつづけ
団地は増殖しつづけ
その威容は空を犯すかに見えた
しかしある晴れた朝
どこからともなく霧が湧き
地表を駆け上ってくると
たちまちにして団地はもとの山に返る
霧は空を覆い
点灯した街灯を消し
徐行する車を呑み
屋上の水槽をうずめて
流れて行く
茫々たる霧海の中を
団地のシルエットは漂流する
やがて霧海の底に
一面の樹林が出現する
その樹木の枝々に
せせらぎのような
羽ばたきの音が流れ
吹く風と共に
そよそよと そよそよと
無数の鳥影が飛来する
霧粒と化した
鳥たちが帰還する
その6
山が崩れると
女は湖水をたずさえて帰ってきた
女はしなやかな体の内に
青い水をたたえて歩いた
湖底には澗水を遡上した
深海魚が住んでいた
その魚の夢がひらく夜明けの空に
鳥の大きな翼が広がる
その7
飛ぶべき空はすでになかった
かつて地上から追われたように
こんどは
空から追いたてられる
空を失った鳥は
いったいどこを飛べばよいのか
空のかなたの空
空の余剰を
自分の羽を糧として
紡ぎ出す他ないのであった
羽ばたくごとに
現われては消える非在の空を
鳥は向こうへ向こうへと
はみ出して行くのであった
その8
星の光が降りてくると
山襞が積み重ねた幾重もの闇の奥で
鳥たちの夢の領土が静かに広がる
狐火をかざした
狐の嫁入りの行列が
夢の曠野を横切って行く
平家を追討する
義経軍の人馬のどよめきが
夢の山野にこだまする
神隠しに会った子供を探す
提灯の列が
夢の稜線を照らしたこともある
鳥たちの夢が
いつまでも続くかと思われたとき
光の伝説に憑かれた人間たちは
ついにウランを光に変え
送電線を伸ばして
鳥たちの夢に襲いかかり
山が蓄えてきた
幾万年もの重層する闇を
燎原の火のように焼き払った
光の洪水の上に
都市は建てられ
その乱反射に盲いて
鳥たちは木から落ちる
鳥たちの長い不眠の日々が来た
眠りを紡ぐわずかの闇も
もうどこにも残ってはいなかった
ただ谷底の窪みの
地の穴のような湖だけが
湖底に小さな闇を隠していた
光の都市の最後の仕上げに
人々は湖水を汲み干し
湖底をグランドにした
巨大なスタディアムを作りあげた
ゲームがはじまると
照明灯のカクテル光線の中を
いつも一羽の水鳥が舞うという
行きはぐれたやつが一羽
めくらめっぽう
飛び狂っているのだという
その9
追いつめられた子供たちは
高層住宅に駆けのぼり
身を翻して空に飛ぶ
昔から空は
地上からの逃避の場所であった
子供たちは鳥に転生する一瞬の至福に
おのれを賭ける
しかし空は
かつて鳥を受け止めた優しさを
もう持ってはいなかった
鳥のいない空を
子供たちはつぶてと化して
落下する
その10
最後の鳥が飛去ってから
街は時間を失ってしまった
鳥たちがあらゆる記憶を持ち去ったので
もうここは何処でもない
消え去った鳥たちの
墓標のような団地群
果てしなく続く
墓碑銘のない墓碑の列
もう何の告知でもない夕焼けが過ぎ去ると
街は灯明の海となり
墓碑銘は人魂のレプリカのように
にせ白夜の空にただよう
空は鏡のように明澄で
ときどき屈折率が変わって
不在の鳥群を写し出すことがある
鳥は遥かな空を
時の指標のように通りすぎ
街に降りることはなかった
時間の墓標の指す空を
鳥は季節の風となり
ただ吹きすぎるばかりであった
その11
夜が来ると
水はひたひたと還流し
都市は湖底に陥没する
かつて湖岸であった山並みを越えて流れ込む
満々たる湖水
太古の湖がよみがえる
都市の一番高い塔が水没し
鳥たちは水鳥となって湖面に浮く
灯りをともしたまま都市は湖底に眠り
人々の夢は湖水に浸される
古神戸湖と名づけられた大湖の湖底に
ひときわ華やぐ夢幻都市
その遠い反照で湖面はほのかに明るい
夜が明けると
湖水は流出し
やがて喫水線上に都市は浮上し
鳥たちは空に浮く
こうして鳥は忙しく湖面と空を住み分ける
須磨ニュータウンの昼と夜
その12
なだらかな丘陵にそって
古い鳥の道があった
おおきな弧を描く回廊を
鳥たちはゆっくりと巡っていた
鳥たちに遅れて
人間の夢が流れていた
人の視線は
山の遥かさに耐えられなくて
渺とかすんだ山の果てに
人の形をしたものを住まわせた
人はそれをやまんばと呼んだ
やまんばはその長い手を延ばし
裂けた大きな口を開き
人の夢食って天に届き
人間そっくりの悪相で
人を脅かしたりした
やまんばは山とともに生き
山とともに年老いた
飯食わぬ嫁を求めた男の末裔たちは
またしてもあこぎなからくりを思いつき
やまんば狩りをはじめる
山を削り
谷を埋め
杭打ち込んで
やまんばの処刑
惨殺されたやまんばの死体のうえに
新しい都市が誕生する
緑の回廊は光の流沙となり
指標を失った鳥たちは流亡した
夜が更けると
眠りに落ちた都市のあちこちから
やまんばは四散した手足を拾い集め
黒々とビルディングの背後から立ち上がる
すると遺棄された山々の闇が帰ってきて
やまんばの影を織りあげる
やまんばがひきずって歩く一枚の大きな影
その真闇のなかで輝き始めた星たちが形作る
鳥たちの飛翔の姿
その13
鳥が自分の空を飛び尽くすとき
空の向こうの蒼穹へ
最後の旅立ちをする
自らの飛翔を葬るために
空のかなたのもうひとつの空
空の青さの始源であるそこは
翼あるものの原郷
輪廻も転生もない無底の虚空
鳥たちは己の死を人目にさらすことはない
その虚空に帰る簡潔な空虚
私は自らを葬る虚空を持たぬゆえに
他の翼持たぬものとともに地に帰りたい
ジンギス・ハ−ンの墓はないという
芒々たる草原を駆け抜ける
一陣の風
どこに翼あるものの墓があろうか
どこに翼なきものの墓があろうか
私が死んだら墓をつくるな
墓碑銘を刻むな
鳥が虚空に帰るなら
せめて
私を地に帰らしめよ
私の生涯を乗せたこの大地に
私の灰を撒け
その14
ともすれば垂れ下がる空を
山は懸命に支えていた
空はすすけてずしりと重く
山の背は屈まりつづけた
じわじわ沈んでくる空の重さに
けなげに耐えていた山を
削り始めたやつがいた
山はしだいにそぎ落されて
露出した地軸となり
それでも空を支えていた
大地の最後の悲願のように
そそり立つ山の背骨を切倒して
そいつは街を作った
消え去った山の吐息のように
空が一面に地を覆った
垂れ下がる空を
人はビルディングを建てて持ちあげた
大地に打ち込まれたコンクリ−トの列柱は
高く聳えはしたが
山のようにはいかなかった
空はいびつに歪んで垂れ下がり
鳥たちはもう飛ぶことはできなかったので
羽を畳んで
とぼとぼと
歩道を歩いていた
その15
山上の街は風に吹き上げられて
一瞬 空に舞う
山の造成地に据えられた
根のない箱状の団地を
風は軽々と持ち上げる
かつて道の隈には祠や道祖神が宿り
家々は家風や系図の錘鉛を垂らして
地中深く地霊と繋がっていた
鳥を追放して街を造った時
人々は地霊の宿る地の窪を削ってしまった
かくて区画整然たる街に
家を地に繋ぎ留めるものは何もなかった
風の吹く日
もう名も顔もない家が
がらんどうの空に舞う
人々は我が家を求めてさまよう
「四〇号棟を知りませんか」
「四〇五号室はどこですか」
同じ顔の家を見分けるには番号しかない
風が吹く度に家々は空に舞い
人々の家探しは果てしがない
私はうっかり家の地番を忘れてしまって
自分の家に帰りつけなくなった
途方に暮れた胸のあちこちに風が溜まり
私は地からこぼれて空に浮く
名と顔を失って盲いたら
私は鳥になれるかもしれない
初出 | その1 その2 | 『貫生』第10号 | 1984年 7月 |
その3 | 『貫生』第12号 | 1985年12月 | |
その4 〜 その6 | 『貫生』第13号 | 1986年 7月 | |
その7 その8 | 『貫生』第14号 | 1987年 3月 | |
その9 その10 | 『貫生』第15号 | 1988年 3月 | |
その11 その12 | 『貫生』第16号 | 1990年 8月 | |
その13 その14 | 『貫生』第17号 | 1992年10月 | |
その15 | 『貫生』第18号 | 1995年 5月 |