4ペー
6、ヴェルサイユ
(写真はヴェルサイユ宮殿)
 ヴェルサイユ宮殿は物静かなたたずまいで私の前に現れた。きらびやかな色彩なく、目をそばだたせる趣向なく、大地にどっかと構えて王者の風格を漂わせていた。近付くと石の重さ、大理石のしたたかな造型力が肌身に迫って来た。それはフランス王族の富と権力がどんなに巨大であったかを見せつけている。これに比べれば、ノイシュヴァンシュタイン城など田舎貴族の趣味工芸品に過ぎない。あれがメルヘンだとすれば、こちらは長編小説だ。さしずめバルザック風の重厚なリアリズムの大人の読み物だ。私はこの巨大な空間を埋め尽す文明の底力といったものに圧倒される。この規模壮大にして絢爛豪華な享楽的空間こそが今回のツアーのハイライトであった。あらゆる空間を寸分も残す所なく埋めつくす、あくどいまでに過剰な装飾に辟易しながらも私は圧倒されざるを得なかった。淡泊な日本文化の中で育った私に西欧文明の重量がずしりと応える。

 ヴェルサイユ宮殿はその裏に広大な庭園を持っており、全部見て回ると半日かかるというのだが、私たちが庭園というのは座敷から一望するものをいうのであって、半日かけて見回るのを公園というのだ。そういう意味の庭はヨーロッパにはないのかもしれない。私がちらっと覗いたヴェルサイユの幾何学模様の庭園はのっぺらぼうでしっとりとした情趣などかけらもない。日本庭園の精緻な自然の再現の美が懐かしかった。日本の庭はなかなかのもので、世界のどこに出しても遜色ないなどと、ささやかな西欧文明への異議申し立てに憂さ晴らしをする。

7、イタリア(写真はナポリ)
 各地で日本人現地ガイドが付く。これがそれぞれ個性があってよかった。外国できちんとした仕事を持って生きて行くのはそれでもうひとかどの人物だ。彼らは長い現地生活で身についた知識を自分の言葉でガイドする。テキスト棒読みなんてことは絶対ない。その中でもイタリアで付いた中年の女性ガイドはピカ一だった。初めイタリア人かと思った。身のこなし、化粧、アクセサリーなど日本人ばなれしている。西欧ではガイドは車内で最前列の座席に座っていなくてはならないのに、彼女は立ちっぱなしで、身を乗り出し腕を上げ巻き舌でラォーマと叫ぶと、私たちは古代のローマが蘇ってくるような気がした。ポリの下町でこの旅行で初めて洗濯物の満鑑飾に会った時も「ねえ、見て!ナポリのお母さんたちはすごいわねえ」と教えてくれた

8、イギリス
(写真はロンドン)
 ツアー最後の日、フリーが二回目でもあり、英語圏ということもあって、少し地に足がついてきた感じで街を歩くことができた。地下鉄に乗り、二階バスに乗ってロンドンの街並を観光した。フリーの日の食事はメニューが読めないのでパリでも苦労したのでどうしようかと物色していると、狭い路地の奥にサンドイッチバーがあり、ここなら安心とサンドイッチを食べたが、これが美味しかった。イギリスはサンドイッチの本場だものね。それからピカデリーサーカスに向ってかなり歩いたところで、妻がジャケットをその店に忘れたことに気が付いた。パリの体験からいって、もう店へ引っ返すのは不可能に思われた。しかしここは英語圏でストリート名など多少記憶に残っていて、少しあちこちしているうちに、実にあっけなく路地の奥のその店に辿り着いたのである。その時喜び過ぎて「サンキュー、サンキューベリマッチ」とか言ってジャケットを受け取ったのだが、店のおばさんの機嫌がもうひとつだった。後から気付いたのだが、あの時チップを渡さねばならなかったのだ。ホテルやレストランのチップは教えらたマニュアルでなんとかこなせるのだが、こういう未知に遭遇するとたちまち付け刃であることを露呈する。チップは厄介だ。

9、帰路 

 帰りの飛行機に乗って座席につくとすぐ「前の座席が空いておりますが、お変わりになりますか」とスチュワーデスからの案内があったので、なにかいいことありそうだと、慌てて席を移動した。私たちの団体席は一列十席なのだが、移動した席は一列七席のゆったりした座席で、どうも一ランク上の席らしい。座席に折り畳み式のテレビとか、スチュワーデスコールまでついていて、こんな席には一生もう二度と乗れないなあ、なんたる幸運が舞い込んだものよと、うはうは喜んで最後の夜を過ごした。なんせ食事が全くちがうのだ。夕食は厚いビフテキがウォームプレートのついたトレイに乗って来るんだから。椅子の倒れる角度も違うし、足置きもついているし、ほんとに楽々ヨーロッパという感じで成田に着いた。

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